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株式会社三信建材社
〒871-0006
大分県中津市大字東浜1105番地1
TEL.0979-22-2830
FAX.0979-23-3830

プレスセメント瓦・セラミック瓦(ゆきち瓦)・製造販売施工
CP材(高断熱性耐火材料)、セメント、衛生陶器、太陽光発電システム、その他一般建材の販売、内装仕上げ工事の設計・施工、上下水道衛生工事の請負

 かわらばん

社内の隠れエッセイストたちのお部屋です。 毎月お楽しみに。
 毎月お楽しみに。
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「社員旅行」

2015-11-01
宇佐支店には、私が入社する前から続く、支店独自の制度があります。
今年10月、三年ぶりに旅行に出かけました。今回の旅先は東京。一泊二日という短い時間ではありましたが、「THE・東京」という要素をギュギュッと詰め込んだ中身の濃い二日間だったと思います。
 
旅行に行くと、不思議とみんなとの距離が縮まる気がするのは気のせいでしょうか。
半分プライベートと娯楽を楽しむ時間を共有することになるので、最低限の親密性を作りやすくなるので、日ごろ話さないようなプライベートな話をしたり、なんとなく腹を割って話せる雰囲気が生まれるように感じます。これも、職場における人間関係の円滑化の手段のひとつなのかもしれません。
なるほど。だから昔から宇佐支店の人たちは、人が入れ替わってもアットホームで家族のような雰囲気なのかもしれませんね。。
 
私が初めて旅行幹事を任されたのは入社2年目。
入社1年目に行った旅行が最悪で、予算を節約したため、宿泊したホテルは国民宿舎。夜21時をすぎるとお風呂のお湯は止まる。レンタカーを借りて観光すれば道に迷う。。
その時の幹事に不満苦情を言ったら「文句を言った人が次から幹事をしろ」と言われ、押し付けられた幹事の役目。あれから20年がたち、私以外に苦情を言う人が現れなかったので私が継続してきました。
20年・・・そろそろ旅行幹事のバトンを次の人に渡そうかなと思ったりもしました。
 
が!!!
残念ながら、旅行幹事って大変だけどめちゃくちゃ楽しい!
やっぱりこれはまだ続けたい!いう思いが強くなった今年の旅行。いつか誰かが苦情を言ってくる人が現れるその日まで、幹事を続けていたいと思います。
 
宇佐支店 川野 千草

「今」

2015-10-01
 早いもので、あの震災からもう4年...。
 皆さんは、震災が起こった時、どこにいらっしゃいましたか。私は当時高校3年生。卒業式も終わり、友達と遊んでいるときに、地震があった!と母からの電話で知りました。揺れを感じなかったことと、周りにいる人を見ても慌てている様子もなかったことで「またちょっとした地震かぁ。」と思い、私は気にせず友達と遊んでいました。しかし、その何分か後に母からの電話で「津波よ!津波!早く帰ってきなさい。」との電話。津波に対して、当時はそんなに恐怖感をもっていなかった私は、半信半疑で家に帰りました。テレビで繰り返し放送される津波の映像に言葉を失ってしまいました。当時、テレビで放送されていたこの津波に全く実感がわかなかったことをよく覚えています。津波で家や車が流されているのが、CGのように見えて、事の大きさにイマイチ納得していなかったのだと思います。今でこそ冷静に見えるものの、当時高校生だった私の感想はまさに巨大火事。地震に対する恐怖感は多少あったものの、「津波」による被害については、実感を伴わなかったのだと振り返って思います。
 私の家では、水・ガス・電気などを無駄に使わない様に心がけてはいましたが、本当に日常と変わらない生活が続ける事ができていました。今思えば、私がいつもの「日常生活」に戻るのは、本当に早かったと思います。
 しかし、『今』行っても行かなくても、被災地は少しずつ復興を遂げていく。こんな私にも何か役に立てることはないか...と、思ってはいたものの、何も行動することが出来ないままでいました。もうすでに2年もたっていましたが、私の地元で震災が起きた年から、チャリティーイベントをしていることを知り、私も企画側として、参加させてもらうことにしました。当時、地元に住んでいなかった私は、何度も帰ってきては、イベントの話合いに参加していました。そのイベントとは、毎年8月にある日本テレビの『24時間テレビ』を真似して、同じ日、同じ時間にソフトボールの試合をして24時間つないでいくというイベントです。昼間は小学生も参加でき、夜中は大人のチームで24時間をつないでいきます。このイベントの始まりもやはり、何か少しでも被災地の方々の役に立ちたい!日本を明るくしたい!という気持ちから、始めたとのことです。
 優勝したチームには賞金もあり、また野外には焼き鳥などさまざまな出店もあります。ただ、優勝を競うだけではなく、募金箱を色々なところに設置し、募金活動も行って、被災地に寄付をしています。
 私たちが行うチャリティーイベントとしての活動は、2日間だけですが、一定の達成感と、何事もなく終えた安心感で、私たちは翌日からまた今まで通りの生活に戻っているわけですが、被災地の方々は、地震・津波の痛手は今後も少なくとも数年間はずっと続くのだということを考えると、毎年行っているこのイベントがただ「いい経験をさせてもらった」などという感想を残して、過去の単なる思い出として終わってしまうような事がないようにしなければいけません。これを機会に私は今後もずっと、東北の被災地を見つめ続けていこうと思います。そしてまだ5回目ですが、このイベントをもっとたくさんの人に知っていただいて、参加していただきたいと思っています。
 
企画部 矢野 杏

「シルバーウィーク」

2015-09-01
 8月13日~16日のお盆休みも終わり、ようやく休みボケも抜けてきた今日この頃ですが、9月20日~23日にはシルバーウィークです!!数年に一度訪れるシルバーウィークですが、いつがシルバーウィークの年に該当するかご存知ですか?シルバーウィークの始まりは、1950年代前半に映画会社“大映”の松山英夫専務により提唱されたもので、4月末から5月初めにおける大型連休「ゴールデンウィーク」と同様に作られたものであったが、1950年代中盤ごろにはゴールデンウィークのみ定着し、シルバーウィークは定着せずに消えていったそうです。
 まず、ハッピーマンデー制度により敬老の日が9月第3月曜日なりました。また、1985年に国民の祝日に関する法律(祝日法)に“その前日及び翌日が国民の祝日である日は、休日とする”という改正がなされた為、秋分の日が9月21日22日23日のいずれかで、かつ水曜日だった場合、その2日前が必ず9月第3月曜日なので敬老の日となり、その両日に挟まれた火曜日が国民の休日となるので、日曜日~水曜日が4連休、土曜日を休日として扱うと5連休となる。
 今年がその該当年となり、次回は2026年となります。私は今のところ予定がないので、のんびり過ごす予定ですが、シルバーウィークを利用してお出かけされる方は、運転等充分気をつけて楽しんで下さい。
 
中津支店 横山解史

「私の楽しい趣味」

2015-08-01
 私は、平成3年4月に三信建材社に入社しました。その頃は、別に「これ」といった趣味はなく、仕事を覚えることでいっぱいでした。
 時々、日曜日にパチンコに行っていましたが、お金がかかり、何か趣味を持とうと思い、頭にすぐよぎったのが「魚釣り」でした。
 小中学校の頃は池にフナ釣りや、近くの港にチャリンコで釣りに行ってましたが、小物しか連れませんが、友達と楽しく釣りをした記憶が残っています。
 まず手始めに何釣りをするか考え、やはりウキを使ったフカセ釣りをしたいと思い、近くの釣具屋に行きました。
 子供の頃と違い、道具の進化を感じました。が、値段も高く、最初は安物を買いました。あとは、チヌ・メジナの大物を狙って釣りに出かけましたが、技術もなく、近くの港では釣れる訳もありません。最初はボーズ(0匹)ばかりで、自分の腕が悪いのですが、最新のタックル(竿・リール・ウキ)を使えば釣れると勘違いし、高いタックルを揃えましたが、やっぱり釣れません。
 自分は飽きやすい性格なので、やめてしまおうかとも想いましたが、同時に悔しい思いに駆られ、釣り友達(ベテランでよく釣ります)に教えてもらい、釣り雑誌や釣り情報(今何が釣れているか)を頼りに、私なりに努力し、平成18年、目標のチヌの50cmオーバー、平成24年にメジナの49.5cmオーバーを釣ることができました。
 又、釣り友達も増え、釣り倶楽部を作って、春はチヌ、冬はメジナの大会を行い、メジナの部優勝、チヌの部3位になりました。
 又、仕事先の大工さんや、下請けの職人さんに釣り好きが多く、釣り話を営業トークに、これからも仕事に釣り(メジナ50cmオーバー)を目標に、楽しくフィッシングしたいと思います。

宇佐支店 野村公宏

「怪談話」

2015-07-01
梅雨明けまでもう少し、夏本番が近づいてきました。夏といえば怪談話!というのは少々安直な気もしますが、今回は私の実体験を書こうと思います。
 
 あれは今から10年程前、小中学校時代の同級生3人とその知人2人、あと私を含め6人で連休を利用してキャンプに行ったときの出来事でした。
 
 格安のコテージが予約でき、7人乗りのレンタカーを借りて出発したのですが、友人の知人2人とは初対面で行きの車内ではお互い気を使いながら話をしていた記憶がある。但し私の友人3人のうち2人は女性だった為(知人2人は男性)、運転する私の後ろではそれなりに盛り上がっていた様な気もするが・・・
 
 現地に到着し、近くの戦場記念館など見学したのち恒例のバーベキューそしてコテージに戻り飲み直しと、お決まりのコースで夜も更けていったのだが・・・
 
 深夜24時を過ぎたころ、その知人の一人が突然語りだした。「自分はとても霊感が強く何度も心霊体験をしたことがあって・・・」
 
 昼間に戦場記念館に行って当時の写真などを見ていたこともあり、特に女性陣は大変怖がっていたが、その反面若干の興味もあったのだろう、彼の話におとなしく耳を傾けていた。
 
 「あれは2年位前だったか、僕が近所の踏切で電車が通り過ぎるのを待ってた時の事なんだけど・・・」
 
 「踏切の向う側には何人かの人がいて、何となくそっちの方を見てたんだけど、突然全身に悪寒が走って・・・」
 
 私はビール片手にみんなから少し離れたところでその話を聞いていたのだが、その他大勢は固唾を飲んで、話しの続きを待った。
 
 「ふと気付いたんだけど、向う側に一人髪の長い女性がいて・・・その人と眼が合った瞬間に、この世の人ではないなって思って」
 
いよいよクライマックスらしい・・・
 
 「電車が通り過ぎ、踏切が上がって僕は恐る恐る歩き始めたのんだけど、さっきの女性もゆっくりとこっちに近づいてきて・・・」
 
さあ来るぞ・・・
 
 「すれ違うその瞬間、かすれた声で【・・・ナンデ ワカッタノ】って・・・」
 
 キターッ!!
 
 みんな軽い悲鳴をあげ、語り手の彼の満足そうな顔が印象に強く残っている。
 
 ただ・・・旅行の一週間前だったか、ある深夜番組で心霊特集がありその当時良くテレビにでていた若手芸人が彼と全く同じ内容、テンションで話していたのを踏切の件あたりから薄々と・・・
 
 ああ、同じ番組を見てたんだなと・・・
 
 ちょっとだけ寒くなる話しでした。
 
中津支店 中山達也
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