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株式会社三信建材社
〒871-0006
大分県中津市大字東浜1105番地1
TEL.0979-22-2830
FAX.0979-23-3830

プレスセメント瓦・セラミック瓦(ゆきち瓦)・製造販売施工
CP材(高断熱性耐火材料)、セメント、衛生陶器、太陽光発電システム、その他一般建材の販売、内装仕上げ工事の設計・施工、上下水道衛生工事の請負

 かわらばん

社内の隠れエッセイストたちのお部屋です。 毎月お楽しみに。
 毎月お楽しみに。
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「中年の新入社員です」

2012-11-01
 秋の気配を感じる今日この頃ですが、みなさん秋を楽しんでいますか?
 
 秋と言えば「読書」、「スポーツ」、「食欲」と、挙げればきりがありませんが、とにかく何をやってもいい季節ですね。
 
 その中でも私は「スポーツの秋!」、サッカーをやっています。体形からは想像つかないと思いますが小学校からずっと続けています。
最近ではひとまわりも違う若い人たちとやることも多く体力の限界を感じることも多いですが、やっていると楽しいですよね。
 
 現在、私が所属するチームには17から35歳までの選手がいますが、みんな職場も違えば、地域も違い、サッカーをしてきた環境も全く違います。中には初心者の人もいます。
そんな中でプレーしながらよく考えることは「チームワーク」なのですが、上手い人もいれば、まだ始めたばかりの人もいるし、サッカー自体に対する考え方も違い、なかなか難しいものです。
「どうしたらチームワークを高めることができるか?」いろいろ考えた結果・・・
①「相手を見る」②「コミュニケーションをとる」、この2つにたどり着きました。
一見、簡単そうではあるのですが、突き詰めていくと答えが出ないほど奥の深いものです。
 
「相手を見る」というのは「相手、味方がどう動いているのか?」というところから目線、体の動きさまざまな箇所を見ないといけません。
 
「コミュニケーションをとる」というのはいくら上手い人たちが集まっても、どういうプレーをしたいのか?お互い違うことはよくあります。お互いが伝え合わなくては噛み合いません。 時折、見かけるのがこの2つが出来ない、上手い人です。
 
 シュート、パス、ドリブル、トラップ、何をしても上手いのですが、いざチームに入るとなかなか機能しないのです。こんな人は自分が好き勝手にするだけで、チームメイト、相手チームを見ていなく、どうしたいのかも言わないのです。
 
 逆に、始めたばかりの人でも個人技は劣っていてもチームメイトや相手チームがどう動いているのかしっかり見て、その中で自分がどう動いたら良いか考える人。そして、どう動いたら良いのか聞いて来る人はチームに馴染んでいます。
 
 サッカーだけじゃなく、何事においても同じような事が言えるのかなと最近よく思います。
 現在、宇佐支店で研修中の私ですが、支店長をはじめみなさんにとても親切に指導していただいてます。サッカーでの経験と同じように周りのみなさんをよく見て、分からないことは積極的に聞いて、一日も早く、この温かい宇佐支店に馴染んで役に立てるように「あわてず、焦らず」頑張りたいと思います。
 
宇佐支店 T.T.

「7月九州北部豪雨」

2012-10-01
7月3日は朝4時くらいから目覚めました。今までに聞いたことのない地響きのような音にたたき起こされました。よく聞くとその音は雨の音でした。前の週より納期のある仕事を残してこの週を迎えたため、私の頭の中は、会社に着いてやる仕事の段取りで頭がいっぱいで、大雨のことは二の次でした。
しかし、いざ家を出て車を走らせるにしたがって、いつもとは違った匂いに胸騒ぎをおぼえました。勢いよく流れる山国川の水の量は2年に1回くらいは起こる‘見慣れた’風景でしたが、山から流れて落ちる濁流、噴水のようにわき出る側溝からの水は、今までに見たことのない風景でした。それでもイオン三光近くまで来ると雨は小康状態になり、やっと治まったか、と安堵の気持ちになりました。耶馬溪の雨も治まったと思っていました。
ところが、会社に着いた私にかかってきた電話の内容はそれとは違い、川の水が徐々に我が家に迫ってくることを伝える内容ばかりでした。慌てて仕事を手伝いの手にバトンタッチし、帰路につきましたが、やっとたどり着いた洞門で、通行止め。なんとか帰る道はないかと考え付いたのは、開通したばかりの中津日田道路を通って山移から柿坂に下りて、212号を下る方法でした。その道で見たのはまさに被災地の風景でした。サイクリングロードの鉄橋は落ち、やばの駅は土砂で全壊状態、がけ崩れした法面に自動車が引っ掛ったまま。ドキドキしながら我が家がある平田までたどり着きました。家に着くとすでにたくさんの応援の方々が一生懸命復旧作業をしてくれていました。まさか我が家がこんな状態になることなど想像すらしていませんでした。
明くる日は早朝より三信の“精鋭部隊”が大挙して応援に駆けつけ、私達ではやることを躊躇する『(表現は悪いですが)危険で汚い仕事』を率先して黙々とこなしてくれました。目頭が熱くなり、頭の下がる思いでした。次の日もまた次の日も、申し合わせたようにいろんな団体の無償の応援が駆けつけてくれました。
7月14日やっと片付けが終わりかけたところに2回目の洪水。さらに激しい被害で呆然としました。また無償の応援が私達を助けてくれました。盆を過ぎ、サッシが復旧し、畳が入り、9月に入り大工、左官工事が進み、やっと今平常の生活を取り戻しました。人は一人では生きていないこと、いつも誰かに支えられながら生きていることをあらためて実感した出来事でした。二度の豪雨の間、仕事をあけ、カバーしてくれた同僚、普段より休みもなく働く中、休日を返上して応援に駆けつけてくれた三信商事、三信建材社ほか協力会社の方々、何より見ず知らずの人間の応援に駆けつけてくれたボランティアの方々に心から感謝します。
三信商事㈱ 瀬戸間

「九州北部豪雨」

2012-09-01
私が体験した九州北部豪雨と名付けられた2回の大雨洪水災害についてお話します。
 
 私は耶馬渓に住まいがあります。
ここは山と川の自然に恵まれ、人と人の繋がりがあり、いつの間にか玄関に野菜を置いてくださっているような温かい田舎町です。
 
 普段は6時に起床し7時前には出勤するのですが、この日は違っていました。
7月3日(火)早朝5時、台風?と思う程の強い風で目覚め、数分後にはスコールのような激しい雨が降りだし、1時間経っても雨の勢いは変わらないため、ただならない不安感に襲われて、いつもより30分早く家を出ました。
通勤に通る国道212号線は山国川と並走するようにあり、車からの眺めは、川は増水して濁流が目線に入り、山からは鉄砲水の勢いが激しいため、今にも土砂崩れが起きそうな状態、道路もいたる所で水没し、タイヤの半分ぐらいの高さまで水が溜まり、雨の勢いも激しいためワイパーを最大にしても前方が見えない状態でした。
車内には高校に通う子供もいたため、祈るような思いで『早く中津についてくれ』と何度も思いながらも、鉄砲水による山からの石や土砂、道路の水没の影響で自然と片側交互通行となり、1時間30分(通常は45分で通勤)かかってようやく会社にたどり着きました。
会社に着いてから1時間後、自宅周辺は避難指示が出ていて、川の氾濫により浸水しているとの連絡があり、最初は『なんぼなんでも川が氾濫するなんて…』と思っていましたが、メールの写真や自宅前の家の並びは1階が床上まで浸水しているといった連絡を受けるにつれて事の重大さを認識しました。
 
 2回目は7月14日(土)でした。
深夜からの大雨で朝方には再び川が氾濫、自宅前と後ろの道路には濁流が流れ、1.2~1.5m程の高さにまで達していました。
 
 水がひいてから被害状況が分かってきて、2回目の方が激しいものでした。自宅はまわりに比べ高い位置にあるため、床下に少し浸水した程度でしたが、前の道路に面した家々は床上まで浸水し、1階は泥と瓦礫に埋まっている状態でした。
国道212号線は数ヶ所で片側が濁流によって削られ、路肩には泥や瓦礫が堆積し、山国川は川幅が大きくなり、橋は濁流によりほとんどが流されたり、破壊されてしまいました。
 
 自宅は難を逃れたものの、近くの親族は浸水により甚大な被害を受けました。
私は休みを頂き親族の災害の後片付けを手伝いましたが、2回目だけに何ともやりきれない思いにかられ、まわりの方たちも2回目はさすがに心が折れそうやと言っていました。
その中でも無償、実費で被災地に駆けつけてくださったボランティアの皆様には勇気づけて頂き、暑い中での作業、心から感謝致します。ありがとうございました。
 
 お盆が過ぎてようやく片づけや家屋の手当ても終わり、ほとんどの方たちが自宅に戻り、通常の生活を取り戻しつつありますが、未だ公民館等での生活を余儀なくされている方もいます。
道路は少しずつ工事は進んでいますが、今でも国道212号線は中津~耶馬渓間で5ヶ所も片側交互通行になっています。
川については今だ手つかずの状態のため、橋は落ちたまま、堤防は決壊したまま、川床は石や土砂で上昇しているため、少しの雨量でも再び氾濫してしまう危険性があります。
このような状態のため家屋が浸水した人の中には、長年暮らしたこの耶馬渓を離れ、他へ引越した方もいます。
 
 復興には行政に頼らざるを得ない面が多々ありますが、以前の素晴らしい景観を取り戻すため、住人ひとりひとりが出来ることをするべきではないかと思います。
無論私もその1人です。
 
東浜工場 S.T.

「運動不足」

2012-08-01
最近運動不足だなーと感じる日々が増えています。この間の休みの日には運動をしたくなり久しぶりにwiiを引っ張りだしてゲームで運動をしました。そのなかでからだ年齢がわかるものがあったのですがなんと60歳を越えていました。する前は10代前半くらいかなと自信満々だったのですが、予想以上に越えすぎていてびっくりしました。でもそれ以上にとてもショックでした。しかも次の日には筋肉痛になっていてこんなに筋肉を使ってなかったのかと情けなくなりました。中学・高校と部活を毎日していたのでこんなに運動から遠ざかっていることがなく、運動しないとこんなにもなまっていくのかと実感した瞬間でした。実際体はまっているのですが、テレビ番組などで運動している芸人さんを見て、自分ならもっと出来るのになんて思ってしまいます。心だけはいっちょまえにスポーツマンです。これからは体も動かしてからだ年齢を自分の年齢くらいまで上げてスポーツマンのように体を動かしていこうと思いました。
 
中津支店 K.U.

「節電の夏に遺せるもの」

2012-07-01
≪喉元過ぎれば熱さを忘れる≫という諺がある。
 
意味は、「苦しさ・辛さも、過ぎてしまえばケロリと忘れる」ということらしい。
人はどうも嫌なことは忘れてしまうらしい。
現代は飽食の時代と言われ、巷には物があふれ、多くのものがゴミとして捨てられている。
電気などは、「節電」といっても型ばかりで、使い放題である。
しかし、今年は状況が少し違う。東日本大震災のおかげで、国内の原子力発電が総て停止した為に電力不足が見込まれ、節電せねばならぬ羽目になった。
 
電力不足といえば思い出す事がある。
私は昭和47年頃、印刷関係の会社に就職していた。当時、会社はマンションを数室借り切って、これを独身寮としていた。そこに私は入居していた。
昭和48年、オイルショックが起こった。産油国の生産調整で原油価格が暴騰した為、節電が呼び掛けられていた。しかし、世間の節電モードとはどこ吹く風、とばかりに節電とは程遠い生活をしていた。
ある日、寮母さんが「困った、困ったねぇ・・トイレットペーパーが買いに行っても無いのよ」とブツブツ言っていた。
これを聞いた先輩社員が「それだったら会社の総務に言えばいいじゃないですか」と言った。
寮母さんは「だめよ、会社は領収書の分だけお金をくれるだけよ。悪いけど何人かスーパーで並んで買ってきてちょうだいよ」
それでは、とばかりに先輩が先頭を切ってスーパーにトイレットペーパーを買いに行ったが、どこも売り切れだった。
先輩が「こうなったら最後は新聞紙でも使うか、直接水で洗うかだな」と、半分冗談交じりで言ったのを覚えている。結局、この件は総務の計らいで、事なきを得た。
 
トイレットペーパーは≪風吹けば桶屋が儲かる≫の喩通り、買占めによる品不足が原因であることがわかった。あれから40年後の今、また電力不足となり、節電が呼び掛けられている。
水力発電には限界があり、再生可能エネルギーでは間に合わず、火力発電はCo2の問題がある。かとて原子力は怖い。この様な中でも人はギリギリにならないと、事の重大さは理解できないものらしい。
節電はどこかの誰かに任せておいて、エアコンのスイッチを入れ、涼しい部屋で両手両足を伸ばし、昼寝をしたいものだと思っているのではなかろうか。しかし、それではあまりにも反省がない。
 
そこで提案であるが、窓を大きく開け、裸で右手に扇を持ち、この暑い夏を瘦せ我慢で乗り切ってみてはいかがだろうか。きっと自信がつくはずである。それができれば、後世の人に「我慢する」ということを伝えられる。これもひとつの遺産だと思う。なにも1,000兆円の借金ばかりを遺すだけが能ではあるまい。
 
宇佐支店 S.W.
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