かわらばん
毎月お楽しみに。
「新年のご挨拶」
2010-01-01
あけましておめでとうございます。
お取引頂いているみなさま、昨年は本当にお世話になりました。
非常に厳しい環境下ではありましたが、なんとか無事新しい年を迎えています。
お取引頂いているみなさま、昨年は本当にお世話になりました。
非常に厳しい環境下ではありましたが、なんとか無事新しい年を迎えています。
一昨年から、石油価格の高騰、アメリカでのオバマ新大統領の誕生、改正建築基準法による住宅着工の遅延、リーマンショック、民主政権の誕生、事業仕分けによる予算カット・先行きの不透明感、デフレ、ドバイショック、そして住宅着工件数の100万戸大幅割れ、と枚挙にいとまがないほどの厳しい変化の1年でした。
当社が携わっている建築業を取り巻く状況も同様です。大分県中津市で商売をさせていただいていても、世界の流れからは無縁ではいられないのだな、と実感する1年でした。
当社が携わっている建築業を取り巻く状況も同様です。大分県中津市で商売をさせていただいていても、世界の流れからは無縁ではいられないのだな、と実感する1年でした。
世界や国の変化と携わることはないと、さめた気持ちを持ったり、諦めるのではなく、
まず、自分が変えることの出来るところから変えよう。と強く思い、新たな年を迎えています。
まず、自分が変えることの出来るところから変えよう。と強く思い、新たな年を迎えています。
今まで以上にみなさまの、そして地域のお役に立てる会社になるために。本年も社員一丸となり頑張ってまいります。
至らぬ点は厳しくご指導いただき、「きっと変えてみせる」という意気込みとともに、新年の挨拶をさせていただきます。
平成22年元旦
株式会社 三信建材社
代表取締役
大家 覚(おおいえさとる)
「2009年の1年間」
2009-12-01
黙々と、黙々と考えることが多くなりました。
たとえば、一日が終わると、「今日、私は何か人の役にたったかな?」と考えます。一週間が終わると、「月曜から日曜まで誰からも風邪の知らせも、怪我のニュースもなくて、よかった、よかった。」と一週間をふり返ります。一ヶ月が終る頃には、「私はアクティブに暮らせたか?じゅうぶんな行動が出来ただろうか」と。
反省はしない生き方が大事、と心に決めていますから反省とは違います。
たとえば、一日が終わると、「今日、私は何か人の役にたったかな?」と考えます。一週間が終わると、「月曜から日曜まで誰からも風邪の知らせも、怪我のニュースもなくて、よかった、よかった。」と一週間をふり返ります。一ヶ月が終る頃には、「私はアクティブに暮らせたか?じゅうぶんな行動が出来ただろうか」と。
反省はしない生き方が大事、と心に決めていますから反省とは違います。
2009年10月のある日のテレビ。日本人の男性が写っていました。空手教師としてアメリカに渡り、大苦労・大貧乏をしたそうですが、今は、年商200億円の事業家で幸せな家庭人。車を運転しつつ記者に語りました。
「人生、最悪なことは何か知っていますか」
「あの時、ああしとけばよかったと考える瞬間」
1年が過ぎようとしています。皆様、あの時、あれをやっときゃよかった。あの時、あんなことしなきゃよかった、ということのなかったことを、切に望みます。それって人生の最悪ですから。
もう一言。今、あなたが考え、行動することは、日が過ぎると”最善”のはずです。
「人生、最悪なことは何か知っていますか」
「あの時、ああしとけばよかったと考える瞬間」
1年が過ぎようとしています。皆様、あの時、あれをやっときゃよかった。あの時、あんなことしなきゃよかった、ということのなかったことを、切に望みます。それって人生の最悪ですから。
もう一言。今、あなたが考え、行動することは、日が過ぎると”最善”のはずです。
㈱三信建材社
監査役 影木正子
「遺 言」
2009-11-01

私はまだ「人生」を語れるほど生きているわけでもないが人の命、人生というものは思惑通りにいかないものなのかもしれないと感じる。
今年の春、上司が他界した。
とてもマイペースな人で、お世辞にも「バリバリのやり手営業マン」というタイプではなかった。
でも、どことなく憎めず、人に好かれる性格の彼の名前が話題にならない日はないくらい「話題の中心的人物」だった。
とてもマイペースな人で、お世辞にも「バリバリのやり手営業マン」というタイプではなかった。
でも、どことなく憎めず、人に好かれる性格の彼の名前が話題にならない日はないくらい「話題の中心的人物」だった。
元々持病もちだった彼が、ある日突然、意識不明の重体になった。
今年の3月のある日のことである。
今年の3月のある日のことである。
「いつかまた、何も無かったようにケロッとして戻ってくるもの」と思っていた彼が戻ってくることは無かった。
彼が亡くなって半年が経った今も、この事務所で彼の名前が出ない日は無い。
その存在はなくとも、「話題の人」であることには変わりないことが彼の人柄を物語っているのかもしれない。
その彼は、倒れる3日くらい前に、私に一冊の本を差し出しました。
「ちいちゃん、これ読んでみ。こんな時代やけど、笑顔だけは忘れんようにせんとなぁ~」
結局この本は「遺品」となってしまった。
49日を迎えたくらいのある夜、なぜか私の夢に彼が登場してきた。しかもそれは、私に「説教」をするために登場したのである。
「あのね~。オレはいつも言おう、言おうと思ってたんだけどねぇ
誰かのために何かをしようとするときはねぇ、“~してやったんだから”なんて
恩をきせるようなことを言っちゃ~ダメって。あなたはたま~にそんなとこがあるから。」
誰かのために何かをしようとするときはねぇ、“~してやったんだから”なんて
恩をきせるようなことを言っちゃ~ダメって。あなたはたま~にそんなとこがあるから。」
ドキッとして目が覚めた。
確かに私にはそういう傾向がある。自分でも分かっていた。
だから「痛いとこをつかれた」と思った。
生前、きっと彼は私にこの台詞を言いたかったにちがいない。
こんな「余計なおせっかい」のようなことをするのが、彼らしくてニクい。
こんな「余計なおせっかい」のようなことをするのが、彼らしくてニクい。
彼は、仕事が思うように行かなくても、上司にけちょんけちょんに叱られても同僚から嫌味を言われても、それを嘆いたりしなかったし、ストレスを他人にぶつけるようなこともしなかった。
まぁ、見えないところでお酒に逃げたこともあったでしょうが・・・orz
同僚の「突然の死」を通して、学ぶことがたくさんあった。
人間なんて、明日元気で生きていられる保障なんてどこにもない。
今日できることは今日しておかないと、もしかしたら一生できないかもしれない。
悲観的になるのではなく、人生を、より素晴らしいものにするためにも一日一日を、一生懸命、後悔はできるだけしないように過ごすべきだと思う。
人間なんて、明日元気で生きていられる保障なんてどこにもない。
今日できることは今日しておかないと、もしかしたら一生できないかもしれない。
悲観的になるのではなく、人生を、より素晴らしいものにするためにも一日一日を、一生懸命、後悔はできるだけしないように過ごすべきだと思う。
そして今日も一日元気で過ごせていることに感謝を忘れずに。
いろんな「気づき」をくれた河野さんに感謝するとともに
ご冥福をお祈りして・・・。
ご冥福をお祈りして・・・。
宇佐支店 C.K.
放生会の風景
2009-10-01
彼岸花の咲く頃になると故郷日田の大原八幡さまの放生会を思い出します。
放生会は、お彼岸の中日をはさんで前後数日間のお祭りです。思い出の放生会はサーカスあり、見世物小屋ありで、それは賑やかなものでした。当時は大原参道の両側にびっしりと小屋や露天が軒を連ね、人混みの中に足を踏み入れただけでわくわくするほどの賑わいでした。
当時、昭和30年代はまだサーカスや見世物小屋が掛かっていました。神社境内に近い広場は小屋掛けの一等地でした。参道にはヨーヨーつり・金魚すくい・お面・おもちゃ・食べ物といった露店から、市役所近くの場末には瀬戸物屋・刃物屋・荒物屋・植木屋など日常雑貨の露店が店を並べていたことを思い出します。
小学生の頃は、お祭りの始まる前から友達と一緒に小屋掛けの様子をよく見に行ったものです。また、期間中は毎日大原さん通い、時には日に何度も足を運ぶ入れ込みようで、今となっては信じられないことです。
中学生の頃は、学校が大原参道近くにありましたので、お祭りの間、特に午後からの授業は上の空、サーカスの音色、動物のにおい、小屋の呼び込む声が風にながれて来て心は放生会一色でした。
幸いにも、今年はシルバーウィークのお陰で大原さんに行ってきました。賑わいは比較しようもありませんが、それでも露店は境内から市役所まで参道の両側に軒を連ねており、参道の人出も家族連れ、友達同士、カップル等で思ったより多く安心しました。
津々浦々に色んなお祭りが規模の大小はあっても行われます。
私には、やはりふるさとの慣れ親しんだお祭りが一番です。
私には、やはりふるさとの慣れ親しんだお祭りが一番です。
経営管理部 S・H
ネット入り耐火板の製造を終えて
2009-09-01
平成20年3月23日~21年8月20日まで、約48,000枚製造しました。
その内訳は、
その内訳は、
平形天井板 1,000×1,235 約6,800枚
R形耐火板 1,018×1,240 約15,000枚
R形耐火板 929×1,235 約24,400枚
敷目板用 1,018×1,240 約1,800枚でした。
原材料が高価である為、製品の切断箇所を少なくし材料ロスを最小限になるよう、今回は新しく2つの金型を製作しました。金型寸法の決定は成型時の膨張と乾燥後の収縮を考慮し、過去の実積から割り出しました。現状の幅方向の精度は+0.5、-0であり充分過ぎる結果でした。
良かった事:1番に無事故であった事。製品が予定通り納められた事(乾燥架台を設けてうまく
量産出来た)扇風機とフラットバーを使って製品の変形を抑える事が出来ました。
今後の課題:乾燥室による色のバラツキが解消出来ませんでした。
製品表面に剥がれが少し有る事(テーブルの摩耗によるもの)。
難しかった事:製品をソフトに造る事。
これまでの製品は、形が崩れない様に硬く強くプレスをかけますが、今回の製品は、裏面側にネットを挿入して、圧着、プレス成型後に受け板上でR形状にするのです。ですからネットの伸びと同じように製品も少し変形して伸びないと亀裂が生じて不良品となるのです。
その為製品は、ある程度の柔らかさが必要です。柔らかく作る為の条件は、プレススピードと共給材の軟度です。簡単に言えばミキサーの水加減です。 外気温の変化、原料粒度の変化、ミキサー羽根の摩耗、混練水の温度と水質、等要因は色々です。これらを一定の範囲内で、管理する事で良品が生まれます。
その他、金型の水抜き具合、プレスのスピード、さし板の精度等も関係しますが多くのハードルを越え、製造段階では99%の合格率を達成しております。
『物作りは、人だ!』とよく耳にします。
まさしくその通りだと実感した一年半でした。この製造に携わった多くの方々の努力と協力で達成できたと思っております。皆さんに感謝致します。
東浜工場 西本政春