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株式会社三信建材社
〒871-0006
大分県中津市大字東浜1105番地1
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プレスセメント瓦・セラミック瓦(ゆきち瓦)・製造販売施工
CP材(高断熱性耐火材料)、セメント、衛生陶器、太陽光発電システム、その他一般建材の販売、内装仕上げ工事の設計・施工、上下水道衛生工事の請負

 かわらばん

社内の隠れエッセイストたちのお部屋です。 毎月お楽しみに。
 毎月お楽しみに。
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「幸運の話」

2010-11-01
 今からおよそ6500万年前、現在のメキシコ付近に巨大隕石が激突し、地球上は甚大なダメージを受けました。それまでとは大きく気候が変わり、この影響が一因で恐竜は絶滅したといわれています。
 
 これほどではなくても、人類滅亡の可能性がある程度の巨大隕石が地球に衝突する確率は「毎年」100万分の1くらいある、と天文学者は言っています。人類の誕生は一説によると、およそ700万年前ですから、
 
700万 × 1/100万 =
 
 つまり人類誕生から現在までに、確率的には7回くらい巨大隕石の衝突があってもおかしくはないのですが、運良くそのような危機的状況は迎えずにすんでいます。
 
 あるところにパチンコが大好きな人がいました。
 
 ある日、いつものようになじみのパチンコ屋へ行き、気分よく玉を弾き始めました。その台は100回まわって1回くらいの確率で大当たりがくるようです。
 
 しばらく続けましたが今日はなかなか大当たりがきません。リーチはくるものの100回まわっても大当たりはきませんでした。「まあ、こげなこつもあるやろ。」と、余裕で玉を補給しました。…200回…まだきません。
 
 「こんまんまじゃあ、止めれんよな。」少しイライラしつつ、さらに玉を買い足します。300回…「あーもう、今日は来な良かったっちゃ。」後悔は先に立たず。無意識のうちに生活費にまで食い込んでしまっています。
 
 「負けたまんまで帰るっか?…いや帰れん。帰るっわけがねえ。」あせってのめり込んでいくうち、1回も大当たりがないまま、とうとう400回を超えました。これほどのハマり方はあまり経験がありません。あせりは怒りに変わり、決心しました。「もう切れた。とことん、やっちゃあぁっ!」
 
 思考停止の状態で…500回…600回…。ついには700回まわったところで、最後の玉が台に吸い込まれてしまいました。結局、有り金をはたいて、ただの1回も大当たりはこなかったのです。
 
 「700回ど。100分の1ん台やけ、7回ぐれえ、きてんいいんやねんか。なしかえ1回もこんち。どげなっちょんのん。有り得んちゃ。ついちょらーん!!」
 
700 × 1/100 =
 
 重い腰を上げて店の外に出ます。「腹へったぁ。晩飯どげすっかのう…はあぁぁぁ。」長いため息とともに見上げた星空のはるか向こうでは、地球の周回軌道をかすめた巨大隕石が静かに遠ざかっていくのでした…。
 
 
 このパチンコで大当たりしなかったのと同じくらいの確率で、地球は巨大隕石を回避し続けているって話でした。ついていないときには夜空を見上げ、今生きていられる幸運に感謝してみますか。少しは慰めになる?
 
大豊道路㈱
大家 和

「父の思い出」

2010-10-01
マンションの12階からの広い空の鰯雲(いわしぐも)に見とれています。
 
この季節に、父大家朝司が亡くなって10年の月日がたちました。
9月の中秋の満月に合わせて上海から月餅が届きました。私達が「ゲッペイ」と読むと「ユエピンと言う」と必ず訂正する父の声が聞こえた気がいたしました。
又、北京からは「小雨ばかりの北京も曇空から時折のぞく山々の実に美しい景色は格別です」という手紙を9月24日にもらいました。この美しい秋の景色の中、手をつなぐ親子連れの姿を見て若い父が「結婚の決意を固めた」というのも父のひとつ話でした。
 
こうして父の思い出話が尽きないのも新・旧三信の社員の皆様のおかげと感謝しています。
「10年目になります」と教えてくださったのも社員の方です。
ありがとう。
「お前は、お前の力を出し切る。生まれてきた者の使命である。」
これも父の言。私、影木正子はこの教えを守っているつもりです。
 
(有)三不
影木正子

「クラシックのススメ」

2010-09-01
ここ数年、ある女性指揮者にはまっている。その女性が、福岡なり大分なりにきてオーケストラを指揮するときは、必ず見に行くようにしている。どうせ、見るならと思い、いつもプラチナ席(一番高い席)で見ている。10年も前のわたしなら、クラシックなんて、ただ退屈で眠い音楽と思い、極力避けていた部類である。それが今では、180度くつがえっている。きっかけはいろいろあるかもしれないけど、やはりその女性指揮者の影響が大きいかもしれない。その女性の指揮は振りが大きく、見ていてとてもわかりやすい。女性なのだけど、かっこいいのである。また、楽団員も時たまお茶目なことをやってくれて、楽しませてくれる。大抵最後の曲は激しい内容だから、ピタと終わった時はちょっと放心状態。そして、拍手と喝采の嵐。わたしも思わずスタンディングオーベイション。その感覚を引きずったままなので、その日の夜はなかなか眠れない。この感覚は是非、みんなにも感じてほしいものです。

三信商事㈱
Y.T

「みちのく旅行記」

2010-08-01
先月26日から3泊4日の日程で東北旅行に行ってきましたので、旅行の一部をご紹介します。
 
7月26日(月)晴れ
 羽田空港現地集合午前10時00分、バス3台に分乗し出発。私たちのバスは、九州・中四国地方8県から参加した人たち43人のグループでした。
 一日目の行程は、猪苗代湖・裏磐梯五色沼を見物し、福島飯坂温泉に泊まる走行距離400km。
 羽田を出発して一路東北自動車道を北上するのですが、途中「白河の関」がありました。朝廷の勢力の及ぶ範囲はここまでで、それ以北は蝦夷地で夷(えびす)の治める勢力範囲だったとのことです。そこで、夷これ以上来る勿れといった意味でこの境界地に白河の関を設けたそうです。今でも当時の名残として「勿来(なこそ)」の名の付く地名があります。
 また、途中各地に伝わる民話・伝説・地名の由来などの多くが、遠い京都に関連するものや義経にまつわるものであり、これもやはり「みちのくの土地柄」なのでしょうか。
 
7月27日(火)晴れ
 二日目の行程は、ホテル出発7時30分、松島湾内遊覧・五大堂散策・世界遺産白神山地(ブナの原生林)散策・南津軽温泉に泊まる走行距離450km。
 東北自動車道の柴波SA(岩手県)の近くに約1,200年前の柴波城址がありました。城址といっても平地に2m位の高さで外敵の侵入を防ぐための土塀が残っている程度でしたが、一時期「坂上田村麻呂」が居住していたことがあったとのことです。坂上田村麻呂は、わが国初の征夷大将軍として歴史上有名な人物です。この征夷大将軍の称号も、夷を征服することから名付けられたそうです。もう一人の征夷大将軍は、徳川家康です。
 
7月28日(水)晴れのち曇り
 三日目の行程は、ホテル7時30分出発、奥入瀬渓谷散策・十和田湖上遊覧・平泉中尊寺散策・山形蔵王温泉に泊まる走行距離450km。
 今日の楽しみは、平泉中尊寺です。まだ世界遺産には認定されていませんが、中尊寺は奥州藤原四衡のうち初代清衡公が建立したものです。特に、金色堂は極楽浄土を黄金で表し、平和なあの世を願い建てたものです。
 その背景には当時の世相が反映され、朝廷勢力と蝦夷勢力の争いがあり、東国武士の源氏をも巻き込んでの戦いでした。
 蝦夷勢力の有力者であった安倍一族が滅亡する戦いである前九年の役、この役で安倍一族滅亡に加担した清原一族もまた滅亡するのですが、清原一族滅亡の戦いが後三年の役でありました。
 清衡公は、滅亡した安倍一族である母の連れ子として、清原一族の一員になりましたが、清原一族もまた内紛により滅びてしまいました。このため、長い戦乱で亡くなった人々の霊を慰め平和な仏国土を建設するものでした。
 又、平泉には奥の細道を旅した江戸時代の俳人松尾芭蕉の詠んだ有名な句がありますので、ご紹介しておきます。
 *平泉(高舘)にて・・・・義経が居住していたといわれている小高い丘
   ○ 夏草や 兵どもが 夢の跡
 *金色堂にて
   ○ 五月雨の 降りのこしてや 光堂
 平泉中尊寺を参拝して思ったことは、豊後高田市にある真木大堂の仏像や富貴寺の本堂に姿・形・雰囲気が何となく似かよっていることでした。
 
7月29日(木)曇り・時々雨
 四日目最終日の行程は、ホテル8時00出発、蔵王山頂「お釜」・蔵王牧場・遠刈田こけし工場・羽田空港までの走行距離400km。
 朝小雨が少しパラついています。最終日にして初めて天気の心配です。朝一番の見物先であり、この日最大の目玉であるエメラルドグリーンの「お釜」がガスで見られないかもしれないのです。
 バスは蔵王山頂を目指して上がっていきます。山頂近くの樹木は枝が片方にしか伸びていません。これは強風の影響で風下方向にしか成長出来ないからとのこと。
 山頂到着。ラッキーなことは、雨もやみ、心配されたガスもなく、見物するにはパーフェクト。早速お釜に直行、カルデラ湖は見事なまでのエメラルドグリーン。湖の水が空気に触れ、変色するからだそうです。
 この後バスは、途中2ヶ所立ち寄るものの羽田空港に向けて一路南下。
 午後5時10分、無事羽田到着、そのまま現地解散。 お疲れ様でした。
 
最後に、楽しい夏休みのひと時を頂きまして、会社及び関係者の皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 
経営管理部
S.H

「人間関係」

2010-07-01
私が社会人になって、早くも2年3ヶ月が過ぎようとしている。
噂に聞く通り、3ヶ月・5ヶ月・1年----の「病み期」というものをリアルに体験した。
学生時代であれば、嫌なことは直ぐにその場で友人に相談できたのに、会社となればそうはいかない。
入社したばかりの私には、社内に相談できる人がいるはずもなく、たまに友人と食事に行ったりして「病み期」を乗り越えてきた。
でも、仕事に慣れてくると、お客さんと世間話などをする余裕が出来始め、社内の人も仕事や行事などを通じて話をすることが増え、人柄や性格が色々見えてきて、会社での会話が楽しくなり、以前に比べて「病み期」も減り、些細なことで悩むことが少なくなった。
会社は仕事をするためだけの場所だと考え、人間関係を疎かにしていれば、落ち込んでしまった時に退職する事を一番に考えてしまう。
辞めることを一度心に決めてしまえば、たぶん考え直すことはなく辞めるだけ。そうなる前に相談する人がいれば、少しでも気持にストップがかかる。
仕事をする上で、人との繋がりとはとても大切なことだと思った。
噂によると次の「病み期」は3年が経つ頃、それもこの「病み期」が一番大変らしい-----。
乗り越えられる人間関係を、社内・社外の両方で築いていきたい。
そして、自分も悩んでいる人を支えられる人間になりたいと思う。

㈱三信建材社
R.H
 
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