かわらばん
毎月お楽しみに。
ネットゲーム
2009-07-01
今のゲーム機はハードの性能が格段に向上し、それに伴いゲームソフトも非常に優れたものが数多く販売されています。
ゲーム機・ソフトの価格も高額になり、そんなに多くは揃えられません。
こんな中で、インターネットのゲームサイトには無料で遊べる対戦ゲームがあります。
将棋・麻雀・囲碁など、それぞれのゲームサイトには常に3000人~4000人ほどの人たちがゲームを楽しんでいます。
このサイトは、ゲームと言っても実際に対戦するのは人間対人間なので、面白さが増してきます。
顔が見えなくても、人間が相手なのでついつい感情的になることもあり、将棋を同じ相手と5局連続で指したこともあります。
対局の最初と最後の挨拶は、だいたいの人が「4649で始まり 39で終わる」この辺はなんとなくインターネット上の対戦の雰囲気があります。
対戦中に相手から「いい手ですね」とか「あっ 間違えた」とか対戦しながら、メールのやり取りがあります。こんなゲームでも、最初と最後の挨拶を忘れずに、相手がどんな人間か分からなくても丁寧なメールを送られると、ついついこちらからも返信して、負けたのになんか清々しい気分になったりもします。
ところが、全てがこんな人間ではないから、対戦中に「とろいな、早く指せよ」とか「お前ぜんぜん弱いな」とかメールを送りつけ、挙句の果てに負けそうになると、1手に時間制限一杯の10分ぎりぎりまで指さないとか、対戦の通信を切断してゲームを強制的に終了させてしまう、通信切断されたら文句も言えないので、目茶苦茶に気分が悪いが、まあ、相手の当り外れもゲームの内ですね。
今年度は既に将棋を700局程指しました。将棋・囲碁・麻雀の趣味をお持ちの方は、是非一度遊んでみては如何ですか。
対戦できる日を楽しみにしています。
でも、病み付きになっても責任はもてませんよ。
顔が見えなくても、人間が相手なのでついつい感情的になることもあり、将棋を同じ相手と5局連続で指したこともあります。
対局の最初と最後の挨拶は、だいたいの人が「4649で始まり 39で終わる」この辺はなんとなくインターネット上の対戦の雰囲気があります。
対戦中に相手から「いい手ですね」とか「あっ 間違えた」とか対戦しながら、メールのやり取りがあります。こんなゲームでも、最初と最後の挨拶を忘れずに、相手がどんな人間か分からなくても丁寧なメールを送られると、ついついこちらからも返信して、負けたのになんか清々しい気分になったりもします。
ところが、全てがこんな人間ではないから、対戦中に「とろいな、早く指せよ」とか「お前ぜんぜん弱いな」とかメールを送りつけ、挙句の果てに負けそうになると、1手に時間制限一杯の10分ぎりぎりまで指さないとか、対戦の通信を切断してゲームを強制的に終了させてしまう、通信切断されたら文句も言えないので、目茶苦茶に気分が悪いが、まあ、相手の当り外れもゲームの内ですね。
今年度は既に将棋を700局程指しました。将棋・囲碁・麻雀の趣味をお持ちの方は、是非一度遊んでみては如何ですか。
対戦できる日を楽しみにしています。
でも、病み付きになっても責任はもてませんよ。
株式会社 三信建材社
K.O.
考えたこと
2009-06-01
私が青春時代を送っていた、昭和40年代半ば頃、隣国の中国では文化大革命の嵐が吹き荒れていた。
「文化大革命」は、上部構造である、人間の意識に至るまで革命をしていこうということである。その急先峰となったのが、「紅衛兵」である。
「紅衛兵」と呼ばれる、私と同年代の青年達が、手に「毛沢東語録」という赤い手帳を持ち、口々に「毛主席万歳、毛主席万歳!」と呼び、行進していく姿が目に焼きついて思い出される
後に、この「文化大革命」は、毛沢東と改革派との権力闘争であることを知ったが、当時その様なことは知る由も無く、熱を上げた私は、書店でこの「毛沢東語録」の和訳本を買い求めた
「毛沢東語録」とは、毛沢東の演説の主要な所を編集した手帳である
その中に、「小国は大国を、弱国は強国を打ち負かすことが出来る。その国の運命をしっかり握りさえすれば、小国は大国を、弱国は強国を打ち負かすことが出来る。」という文があった
当時、私はこの文の「その国の運命をしっかりと握る」とはどういうことなのか考えみた。
そして、私なりの結論として「民族の自決と完全なる独立」に対し、
『指導者と人民とが、そのことに対し、思いを共有するということではないのか』
そういう結論に至った。
それは、ベトナム戦争を見ても然りではなかろうか。
指導者と人民が「その思い」を共有することが出来れば、小国は大国を、弱国は強国を打ち負かすことが出来るのである。
さて、我々の業界に目を移すと、「その国の運命」とは何であろうか。
私の考えでは、「経営理念とその会社の未来」を、社長と社員が共有することではなかろうか。
大企業であるハウスメーカーや、フランチャイズ店に対し、弱小企業である地場工務店のうち、どれ位の工務店が「その会社の運命」をしっかりと握っているだろうか。
今、更に「世界同時不況」という敵とも戦わねばならない。
こういう時代ではあるが、地場の工務店には「その会社の運命」をしっかり握り、勝ち残ってもらいたい。
又、その中で生きていかなければならない我が社も、当然、同じことである。
又、その中で生きていかなければならない我が社も、当然、同じことである。
株式会社 三信建材社
S.W.
太陽光発電システム
2009-05-01
昨年4月、太陽光発電システムについて記載いたしましたね。
それから1年、太陽光発電システムの位置付けが様変わりしました。
太陽光発電システムは国の補助金の復活(1KWS当り7万円)を契機に普及拡大に向け大きく動きが活発化してまいりました。
今年も4月19日(日)、中津市ダイハツアリーナに於いて“Earthday中津”に参加しました。エコ・省エネ・環境に関心のある多くの市民の皆様が来場されました(約5千人)。特に、若い奥様、小中学生のお子様をお持ちのご家族様が目立ちましたね。そこで市民皆様の環境・エコ・省エネに対する関心の高まりを大いに実感することできました。
その中の、あるライブの歌詞に『エコを理由に金儲け、エコを理由に金儲け』と云うところに少し気にかかる思いが回りました。自然エネルギーを利用し、三信建材社の保有する屋根施工技術を活かし、この会社を維持存続させる事業に最適事業商材であることは、他に介入させるものはありません。環境・エネルギーの改善など国の行く末に微力ながら貢献している心意気とのズレが無いように適正な事業推進が、より大切である事を見感ができて、将来に大きくなる、お客様の要望に応えてゆく。信条を深め意義深く近後の方向性をつかむ事ができ、また競合他社に対する三信建材社の姿勢アピールすることが出来ました。
ともあれ、太陽光の流れは速いスピードで進んでいます。地域のリーダーカンパニーの位置付を堅持し、地域貢献をも念頭に入れ、当事業推進に励む予定です。
☆中津・宇佐のすべての屋根に太陽光発電を!
広がるエコ。
行動するエコ。
くらしの中からCO2を減らそう!
拡げよう環境の輪 もっとその気で、もっとその気に!
☆国の補助金概要
募集期間2009年4月1日~2010年1月29日まで 先着順受付
補助金額太陽電池パネル公称最大出力1KW当り7万円
地方公共団体の補助・助成が始まっています!
福岡県上毛町 1KWS 5万円。詳細は上毛町へ 5月1日~
☆家が住宅が変化してます!
環境とエネルギーの新時代へ
太陽光発電住宅急増!!
アパートも売り・賃貸マンションも
太陽光発電と燃料電池付き住宅の販売開始!
太陽光について知識がないと取残される様な感じの住宅産業業界・瓦・屋根施工業界になりましたね!
株式会社 三信建材社
太陽光発電システム事業推進
アドバイザー 東 純司
大発見「シ・チ・ツ」
2009-04-01
小学一年生で国語を習い始め、日本語の五十音というものを知ったわけですが、「なんか変だなあ。言いにくいなあ。」と、漠然と違和感を抱き、子供心にモヤモヤしていました。その後、中学で英語の授業を受けるようになり、アルファベットに触れて、「ああ、なるほど!こういうことだったのか!」と長年の謎がとけたのです。その大発見を今回みなさんにご披露しようと思います。
ご承知のとおり五十音は、ア・カ・サ・タ・ナ・ハ・マ・ヤ・ラ・ワの10の行とア・イ・ウ・エ・オの5つの段で構成されています。アカサタナ…のそれぞれの行は同じ子音にそれぞれの母音(a,i,u,e,o)がついているというのが大原則です。カ行なら「k」の子音に「a,i,u,e,o」の母音がそれぞれくっついて「カキクケコ=ka,ki,ku,ke,ko」となっています。しかしながら、明らかにおかしな行があるのです。それもいきなり3番目と4番目の行に!サ行にはひとつ異物が混じっています。サ行をアルファベットで表記すると「sa,shi,su,se,so」です。siがいるべきところにshiがまぎれこんでいるのがお分かりになると思います。シ(shi)は本来シャ行(シャ・シ・シュ・シェ・ショ)なのに、なぜかサ行にまぎれこんで舌の流れを邪魔しているのです。タ行はもっとひどい。ふたつも異物が混じっています。もう無茶苦茶です。行として成立していないと言わざるを得ません。タ行「ta,chi,tsu,te,to」の「タ・テ・ト」はt+母音の同類ですが、チとツは明らかによそ者です。チはチャ行(チャ・チ・チュ・チェ・チョ)に、ツはツァ行(ツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォ)に帰れ!…なのです。書きながら、最初に発見したときの興奮がよみがえってきました。それでは気を取り直して、サ行とタ行をキチンと整理しましょう。
サ・スィ・ス・セ・ソ (sa,si,su,se,so)
シャ・シ・シュ・シェ・ショ(sha,shi,shu,she,sho)
タ・ティ・トゥ・テ・ト (ta,ti,tu,te,to)
チャ・チ・チュ・チェ・チョ(cha,chi,chu,che,cho)
ツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォ(tsa,tsi,tsu,tse,tso)
どうですか?みなさん!これで舌の回りもなめらかに発音できるようになりました!
実は、今までいろんな人にこの大発見の話をしてきましたが、ウケたことがありません。ほとんどの反応はにぶく、「は~、それで?だから何なの?」ってなものです。「すごい大発見だね!」と私の興奮を分かち合えたことは一回もありません。最後まで読んでくれたあなたが小学生であることを祈ります。
大豊道路株式会社
代表取締役 大家 和
寝台特急
2009-03-01
先月ドライブ中に、3月13日の寝台特急列車「富士」の乗車券は、発売開始後10秒で売り切れたとのニュースを聞いた。
この日の乗車券は、日豊本線を経由して、東京駅を終着駅とする 寝台特急「富士」の最後のさよなら運行のチケットである。近年の風潮からして寝台車が廃止になることは、仕方のないことだとは思いながらも、自分がよく利用した方の部類に入るかどうかは分からないが、少し寂しいものがある。
寝台車に初めて乗ったのは、1969年(昭和44年)2月になって間もない頃だった。
この日の乗車券は、日豊本線を経由して、東京駅を終着駅とする 寝台特急「富士」の最後のさよなら運行のチケットである。近年の風潮からして寝台車が廃止になることは、仕方のないことだとは思いながらも、自分がよく利用した方の部類に入るかどうかは分からないが、少し寂しいものがある。
寝台車に初めて乗ったのは、1969年(昭和44年)2月になって間もない頃だった。
受験の為の東京行きだったが、何号に乗ったかは記憶にない。ただ、B寝台3段のうち下段であった。そして、静岡を過ぎたころ寝台をたたみ、うまく座席と背もたれに組み立てなおす車掌さんの手際のよさが印象に残っている。又、富士山がくっきりとよく見えたことである。
その後学生時代は、専ら夜間急行列車を利用し、寝台車は贅沢な乗り物であった。しかし、まだまだ飛行機が大衆的でなかった時代に、寝台車は贅沢な乗り物であったけれど、身近な親しみのある存在であった。
社会人になって寝台車を利用する機会は、ほとんどなかったが久々に利用する機会が訪れた。確か1985年(昭和60年)秋、職場の慰安旅行で鹿児島に行ったときだった。列車名は覚えていないが、その寝台車には、鹿児島本線久留米駅を午前0時頃に乗り込んだ記憶がある。
寝台特急「富士」に始めて乗ったのは、1995年(平成7年)12月だったと思う。東京研修のため、中津駅・東京駅間を往復利用したものだった。もうその頃は、飛行機はメジャーな乗り物であり、研修課に寝台車利用を申し込んだら、飛行機を利用するのであれば、航空チケットはこちらで手配しますが、列車利用であれば、自分で切符の手配をしてくださいとあっさり言われた。
最近で寝台車を利用したのは、平成11年6月のことである。友人と二人で熊野古道を歩こうと相談がまとまり、宇佐駅から新大阪駅まで「彗星」の利用だった。その日の宇佐駅は梅雨の走りかドシャ降りだった。彗星も今はダイヤにない。
飛行機がメジャーな乗り物として市民権を得た今、新幹線や車以外の移動手段として、寝台車を頭に思い描く人は、そうは居るまい。
しかし、寝台車のお世話になり、鉄道での旅が苦痛でなくむしろ道中の時間を楽しむタイプの人間にとって、いささか寂しい限りである。
その後学生時代は、専ら夜間急行列車を利用し、寝台車は贅沢な乗り物であった。しかし、まだまだ飛行機が大衆的でなかった時代に、寝台車は贅沢な乗り物であったけれど、身近な親しみのある存在であった。
社会人になって寝台車を利用する機会は、ほとんどなかったが久々に利用する機会が訪れた。確か1985年(昭和60年)秋、職場の慰安旅行で鹿児島に行ったときだった。列車名は覚えていないが、その寝台車には、鹿児島本線久留米駅を午前0時頃に乗り込んだ記憶がある。
寝台特急「富士」に始めて乗ったのは、1995年(平成7年)12月だったと思う。東京研修のため、中津駅・東京駅間を往復利用したものだった。もうその頃は、飛行機はメジャーな乗り物であり、研修課に寝台車利用を申し込んだら、飛行機を利用するのであれば、航空チケットはこちらで手配しますが、列車利用であれば、自分で切符の手配をしてくださいとあっさり言われた。
最近で寝台車を利用したのは、平成11年6月のことである。友人と二人で熊野古道を歩こうと相談がまとまり、宇佐駅から新大阪駅まで「彗星」の利用だった。その日の宇佐駅は梅雨の走りかドシャ降りだった。彗星も今はダイヤにない。
飛行機がメジャーな乗り物として市民権を得た今、新幹線や車以外の移動手段として、寝台車を頭に思い描く人は、そうは居るまい。
しかし、寝台車のお世話になり、鉄道での旅が苦痛でなくむしろ道中の時間を楽しむタイプの人間にとって、いささか寂しい限りである。
ありがとうございました 合掌
経営管理部
樋口 修司
樋口 修司