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株式会社三信建材社
〒871-0006
大分県中津市大字東浜1105番地1
TEL.0979-22-2830
FAX.0979-23-3830

プレスセメント瓦・セラミック瓦(ゆきち瓦)・製造販売施工
CP材(高断熱性耐火材料)、セメント、衛生陶器、太陽光発電システム、その他一般建材の販売、内装仕上げ工事の設計・施工、上下水道衛生工事の請負

 かわらばん

社内の隠れエッセイストたちのお部屋です。 毎月お楽しみに。
 毎月お楽しみに。
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『年を取ったなあ! No.2』

2005-05-01
前回、『中津近郊の古城めぐり』(現地探訪)で大畑城・正行寺について、話しましたが今回は続きの長久寺・草場城・光岡城について紙面の許す限り書いてみたいと思います。興味のある方は読んでみて下さい。
 
本堂で住職から聞いた講和を中心に書いてみます。
現住所は福島ですがこれは江戸時代になってからで、それ以前は築地(ついじ)と呼ばれていました。
        ※築地(ついじ)-塀がある、道がある、廻りに市場がある。
お寺の前の道は高瀬から宇佐への勅使街道になります。
天正15年(1587)12月 宇都宮鎮房に呼応した田丸城主 福島佐渡守鎮充は黒田孝高指揮の吉川広家・黒田長政軍に攻撃され、黒田軍に敗れました。
出家し、長久寺になったのは江戸時代(細川時代)からです。
現在の本堂の棟上は天保9(1836)、山門、鐘つき堂、経堂は享保元(1716)で約300年前の建物です。
歴史を感じさせる重厚感のある建物が境内に建っています。裏の池は元禄元年(1688)荒瀬井堰が完了した時にできたものです。ガラシャ夫人(細川忠興夫人・明智光秀の3女)「玉子」の33回忌もここ長久寺で行なわれました。又、伊能忠敬も泊まっています。
 
(4)草場城(上伊藤田城)
大友氏家臣代々居城があった場所で天正15年(1587)宇都宮鎮房につき、黒田氏の制圧に抵抗し、兵300で挑戦するが10月10日戦死しました。
天正16年(1588)黒田長政の犬丸城攻めに草場甲斐守同五郎の名が残っており、城山城址には草場甲斐守の墓がひっそりとたっています。草場の有志により昭和30年4月に建立された記念の碑も建っています。場所的には、中津健康センター裏あたりの伊藤田の山中です。

(5)光岡城(赤尾氏・宇佐市赤尾)
この地は16世紀前半(室町時代)、大内氏が支配していました。弘治3年(1557)以降、豊前国は大友氏の支配になりました。赤尾氏は宇佐神宮の大造営で作事(建築)奉行に任命されたこともあります。
赤尾氏・渡辺氏(四日市)・中島氏(高家)は宇佐郡内で有力な大友氏の武士でした。天正6年(1578)、大友氏が日向遠征で大敗後、豊前地方は大友方と反大友方に分裂し、戦が繰り返されました。天正8(1580)年、長野氏(北九州市)・城井氏(築城町)は赤尾統秀(むねひで)の宅所と切寄を襲いましたが、城が堅固であったので敵を撃退しています。
 
※宅所‐平時の領地支配の拠点である館
                   現在谷底の平坦部に残っている土塁の一部がその遺構です。
※切寄‐大友氏の支配地域では城館のこと
                   堀を切り開いた土石を寄せて土塁や石垣とした土木事業に由来する。
                   赤尾氏の場合・・・戦時にたてこもる山城の名称
 
現在はきれいに整備され、立派な公園となっており、宇佐平野を眼下かに見下ろすことができます。
三信建材社
S著

ストレス解消?

2005-04-01
「初心者でも大丈夫な山だから登ろう」と山の先生に誘われて約14年。月に1~2回、近場の山に登りストレスを解消しています。
 
毎年・毎月色々な山に同行し、登ったが、数年前 宮崎の山にツアーで友人と2人参加した時、朝から大雨全員中止をせず登り、昼食時は弁当に水が溜まりながら食べ、帰ってからは風邪をひき大変な思いをしたなぁといつも思い出します。
それからはなるべく天気の良い日を選び、無理をせず登るようにしています。
そして山頂でのビールの味は最高です。
 
そしてもう1つ思うことは登る途中と頂上までにゴミが以前より少なくなり、綺麗になった。
 
※職場でも家庭でも掃除をして綺麗にしましょう。

三信建材社 行橋支店
N.S

『年を取ったなあ!』

2005-03-01
皆さん、こんにちは。
5年ほど前から興味を持って始めたことに“郷土史”と“古文書”があります。“郷土史”は中津にずっと住んでいて始めて知る事・見る事の多いこと。“古文書”は日頃、親しみのない「候文」が反対に新鮮味を感じます。文治3年(1187)、宇都宮信房が源頼朝から平家残党狩の功をかわれ豊前の「地頭職」に任ぜられてから天正16年(1588)黒田氏に滅ぼされるまで豊前地方を治めていました。
 
黒田氏は福岡52万石へ、その後入府した細田氏は熊本54万石へと転封しました。
豊前地方は歴史的に見ても大分県第一の歴史の宝庫だと思います。去年の末、現地探訪で『中津近郊の古城めぐり』に行ってきました。中津で大畑城、正行寺(末弘城)、長久寺(田丸城)、草場城、その後、宇佐で時枝城、光岡城と廻りました。今後も機会あるごとに参加し、もっと中津を知ろうと思っています。以下、その時の探訪場所を思い出しながら書きますので興味のある方は読んでみて下さい。
 
「ひとりごと」
 
(1)大畑城
古城があったのはバイパス 中津少年院の近くです。
天正16年(1588)、黒田如水の長子・長政に落城させられた城主 賀来安芸守統直は伊藤田越えの山中で黒田方の秣氏に待ち伏せされ戦死しました。三光村大源寺から獣道を15分ほど登ると山の中に「賀来どんの墓」がひっそりとたたずんでいます。
 
(2)正行寺(末弘城)
天正7年(1579)、末弘城主 対馬守正行は、宇都宮一族の長岩城主(津民)野仲鎮兼に攻められ、剃髪し、寺を建て、「正行寺」と号しました。
文政元年(1818)、雲華上人は正行寺を訪れた頼山陽を山国川の奇石へ案内し、「山国の渓→耶馬渓」と名付けました。(正行寺奥様の話)正行寺の山門前には城であった証として、今でも土塁跡・堀跡が残っています。
 
他の場所については、機会があれば、又 書いてみたいと思います。
中津近郊でおもしろい話をお持ちの方、是非一報をお待ちしています。

三信建材社
S 著

野菜作りを始めませんか

2005-02-01
皆さん こんにちは、寒さ厳しい中 元気にガンバッていると思います。
 私は趣味の1つとして、野菜作りをしています。私が、どうして野菜作りを始めたかと言うと、以前から約100坪の畑が近くにありましたが、10年以上荒地にしていました。畑を草刈機で刈り取っていましたが大変苦労をしていました。
 
それで耕運機を買って鍬(くわ)込むようにしました。1年ぐらい鍬込むと、畑の土がだんだん軟らかくなり畑として使えるような状態になりました。そこで、何か野菜を作らないともったいないと思いだし、少しずつ色んな野菜を作るようになりました。
 
今、1年間に作っている野菜は、じゃがいも、玉ねぎ、キューリ、トマト、なす、大根、にんじん、里芋、さつま芋、白菜、キャベツ、チンゲン菜、レタス、ネギ、いちごなど30種類以上作るようになりました。
作り方は、まず2週間前に石灰を撒いて鍬み、1週間前に肥料を撒いて鍬込み、種を蒔き、水をやり、草取りし、間引き、追肥し、畝上げ(うねあげ)、草取りし、約3ヶ月から5ヶ月して収穫です。
 
私は休みの日は毎日畑に行って、この作業をしたり収穫をしています。自分で汗を流して、無農薬で作った野菜を収穫してその日に食べる時の美味しさはなんとも言えません。

皆さんも野菜作りを始めたらいかがですか、楽しいですよ。

三信商事㈱
福永欽一

あけましておめでとうございます

2005-01-01
平成17年の新しい年が、皆様のご健康で幸多い1年となりますよう心からお祈り申し上げます。そして皆様の健康と幸が三信グループに満ち溢れ、明るく活気あるグループへと成長できる事を祈願いたします。
 
昨年は大変お世話になりました。
昨年の事を思い起こしますと、年の初めは、引き続き起こって来る瓦のクレームに悩まされておりました。1つがやっと解決したかに思えると、又 次の物が出て来るという状態で、なかなか終止符を打つことができず、また原因を特定出来ないという事で毎日が落ち着かない不安感でいっぱいでした。
 
そこに前影木社長が突然 中津市の教育長に転出という事態が噴出。少々頼りない私が、腹をくくって社長に就任ということになりました。それからです、沢山の名刺を頂きましたし、お渡しもしました。今、そのうちの何人の顔と名前・会社名が一致しますやら、情けないものです。ほとんどの方が男性であり、おじさん、そのうえ無彩色の背広を着ているときたら区別の仕様がありません。会社名の付いたジャケットを着てくれていたらホッとしました、名前は思い出せなくても会社名だけは分かり、話が少しは続きますから、自分の縮みかけた脳みそをフル回転させ、苦闘する毎日を送っているうちに、あんなに元気だった母が突然入院、1ヶ月半であっけなくあの世へと旅立ってしまいました。5月30日の事でした。
 
残された私にとって、これからが正念場でした。私の意志に反して体が前向きの姿勢をとってくれません。下へ下へ、後へ後へと後退していくのです。足が前に出なくなっても、医者はどこも悪くないですねと、のたまうのです。でもさすがは、神様・仏様・お天道様です、まだまだ捨て去られてはいませんでした。大自然で、素晴らしさ、力強さを見せて下さいました。9月7日の台風1本に驚愕し、右往左往しているうちに、以前の元気者にケロリと戻してくれていたのです。もう何が来てもひるまないつもりです。
 
9月からは10月11月12月と瓦・瓦・かわら・かわら、と言い続けて来ました。
1年が瓦で始まり瓦で終わったように思います。でも、これで正解でしょうね、我社のはじまりは“瓦屋”ですから。
 
新しいこの年も瓦で始めましょう。
そして悔やむことなく、悩むことなく、進みたいと思います。
悔やむことがあったら相談してください。悩みがあったら打ちあけてください。
皆で、明るく前向きに真っ直ぐ進みたいと思います。
では、今年もよろしくお願いいたします。

大家桂子
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