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株式会社三信建材社
〒871-0006
大分県中津市大字東浜1105番地1
TEL.0979-22-2830
FAX.0979-23-3830

プレスセメント瓦・セラミック瓦(ゆきち瓦)・製造販売施工
CP材(高断熱性耐火材料)、セメント、衛生陶器、太陽光発電システム、その他一般建材の販売、内装仕上げ工事の設計・施工、上下水道衛生工事の請負

 かわらばん

社内の隠れエッセイストたちのお部屋です。 毎月お楽しみに。
 毎月お楽しみに。
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城巡り

2006-03-01
私は日本の城が好きです。
 
それは単なる懐古趣味からではなく、城の姿の美しさにひたすら魅かれるからです。私が城に魅かれ始めたのは中津から東京の実家に帰省する際、小倉~東京間を往復する新幹線の窓から見える姫路城の美しさ、雄姿を何度も眺めていた7~8年程前からです。
 
同時期に東京から来た友人を中津城に案内するため、度々訪れた際、城の美しさに感動したことも城に魅かれた要因です。それ以来、いろいろな城の本を読み漁りました。日本人と城は切っても切れない関係にあるのではないかと思われる程、城は全国各地に散在して大切に保存されています。
 
日本の城は伝統的な日本建築の中でも特に究極の建築美と威容を備えた建物と言えます。
 
ある大手の出版社の本によれば、歴史上特に有名な城又は城跡は全国に140ヶ所余あります。私の最初の城巡りは九州にある城からスタートしました。休みの度に城巡りを楽しんでいました。現在まで九州と四国の23ヶ所の城を訪れました。築城以来一度も戦火を受けず天守が現存している城は全国に12ヶ所あります。
 
犬山城(国宝-愛知県)、丸岡城(国宝-福井県)、松本城(国宝-長野県)、彦根城(国宝-滋賀県)、姫路城(国宝・世界遺産に登録-兵庫県)、松江城(島根県)弘前城(青森県)、備中松山城(岡山県)、高知城(高知県)、伊予松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、丸亀城(香川県)
 
残念ながら九州には1ヶ所もありませんが、熊本城にある宇土櫓は現存のものです。私はこのうち高知城、伊予松山城、宇和島城の3ヶ所を訪れましたが、復元された城と違い歴史の重みを感じます。城が素晴らしいと思うのは、城は自然と人との調和から生まれているということです。城を築く時にも、自然の一部を壊すのですが、今の開発の様に山を無茶苦茶に取り崩してはいません。常に自然との調和を考えて建てられていることが分かります。城は山や谷の形や勾配、川の流れを生かしながら築かれていますので、その土地の風景に溶け込んだ美しさを備えているのです。
 
また、城は戦いを想定して防御のために技術の粋を結集して様々な仕掛けが仕組まれています。例えば、熊本城の石垣は見上げればなだらかな勾配で簡単によじ登れそうですが、上に行くほど急な垂直となっていて、引き返すにも引き返せず転げ落ちるほかない様に築かれています。これは「武者返し」と言い、加藤清正の編み出した独自の石積み手法です。
熊本城が難攻不落の城と言われた要因の一つはこの石垣にあります。
 
私は城を訪れると1~2時間があっという間に過ぎてしまいます。城の均整の取れた美しさ、逞しさや石垣の曲線の美しさを見ていると昔の人達の技術の高さに感心して夢中になってしまうからです。
 
未だ、コンピュータの無い時代に複雑な計算をどうやって考え出したのかと思うと昔の人の頭脳に驚くほかありません。私はコンクリートで復元された城よりも石垣だけ、堀だけでも残された城跡(又は城址)の方が好きです。特に竹田市の岡城址の石垣は、ため息をつく程の曲線の美しさと威容さを兼ね備えています。
やはり、城は日本人の心の故郷です。日本人なら誰もが持っている懐かしい心情ではないかと思っています。
 
東京に帰省してからは、仕事から開放された人生を楽しもうと思っていますが、その一つが城巡りです。未だ訪れていない全国各地の100ヶ所余の城及び城址をゆっくりと訪れるのを楽しみにしています。
 
大石武徳
 

社長挨拶

2006-02-01
本年1月5日より当社代表取締役 社長に就任しました、大家 覚(おおいえ さとる)です。創業者大家朝司の時代からおつきあいいただいているみなさま、また、前々社長影木荘一郎の時代からお世話になっているみなさま、そして前社長大家桂子時代からおつきあいいただいているみなさま、よろしくお願い申し上げます。
 
社長就任よりまだ20日程、新年のご挨拶の時期であり、挨拶まわりしか出来ておりませんが、代表者としての責任の重さを実感し、日々肩書きに追いつくべく頑張っております。しかし、至らぬ点、多々あると思います。今後も一層のご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
 
みなさま方のご支援の賜で、当社も2007年8月に創業60周年を迎えることとなります。 本年度はこの60周年を良い形で迎えるため、またこれを機会に100周年を目指せる会社となるため、地域の皆様に愛され、必要とされる会社を目指し、社員一丸となって働ける環境作りも大切と考えます。
 
当社一社での繁栄はあり得ません、お付き合いをいただいているゼネコンさん、工務店さん、大工さん、左官さん、みなさまが当社を利用することで厳しい競争に勝ち残り、利益を得ていただける会社となるべく、「お客様の満足の為に、変化し続ける」を初年度の目標とし、社員共々頑張ってまいります。
 
大家 覚

『平成18年新年のご挨拶』

2006-01-01
あけましておめでとうございます
皆さん、お元気で平成 18年の新しい年を迎えられた事とおもいます。
この新しい 18年が、昨年同様に三信建材の躍進の年になりますよう、祈念いたします。
 
さて、昨年12月27日の役員会で、社長交代を承認されました。大家桂子は代表取締役会長に、そして、大家覚が代表取締役社長に就任いたしました。本年1月より、新体制で社業に励みますので、ご指導、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
 
社長在任中は、大変お世話になりました。皆様が長年苦労して作り上げた組織の上に乗り、社員一同の大きな力で1年と10ヶ月を過ごさせていただきました。
 
平成16年・17年と、売上、粗利ともに計画達成することが出来ましたし。また、工場では、トンネル用のCP材の、製造に追われる毎日が続いております。そして、このCP材が中津からは遠く離れた、秋田や東京等のトンネルの材料として、各地へ出荷されて行きました。また、現在も、次のトンネルの為の、忙しい日々が続いています。
本当に、ありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
しかしながら、昨年はどうしたことでしょう、事故の多かった事。22件発生いたしました。交通事故・労災事故・火災事故と全ての事業所で、ありとあらゆる事故が起こりました。10年分位の事故がおしよせてきたような1年でした。
 
交差点で、ちょっとした確認を怠ったばかりに起こした交通事故。少しあせっていて、注意を忘れた為におきた、怪我。又、定期清掃を忙しいという理由でなおざりにしていて起こった小火。どれもこれも、全てに言えることですが、人間の弱い所をついておこります。どうか、身近に起こりました事故を反省の材料として、2度と起こらないように、お願いいたします。
 
さて、この年になって、ようやく分かってきたことがあります。
長い人生には、色々な事が待っています、つらい事・苦しい事・くやしい事・悲しい事。もちろん、うれしいこと・たのしいこと・もあります。
 
かかわる人が多ければ多いほど、又携わる仕事が大きければ大きいほど、心は早く・大きく動かさねばなりませんし、つらし・苦しい・悔しい・悲しい・嬉しい・楽しい、思いもたくさん味わいました。また、自分の考えより先に回りに振り回されてしまうこともありました。でもどんなときでも、私の取得は、“真面目”と“優しさ”この2つしかない、他には何もないんだからと自分に言い聞かせて、2つしかない取得を大事に守り、真面目に生きてきたつもりだったのです。が、
 
昨年、ある会の始まる前に、息子から、「お母さん、真面目にやってね」と言われたのです。いつだって、私は大真面目でしたのに。それからは、随分考えました。悪く考えれば、自分が思っているほど評価はされていないという事。良く考えれば私の取得は、たった2つだけでは無いという事になります。
 
不真面目も出来るのか・・・・・・と。
でも、真面目にやっているつもりなのに、不真面目、認定されたのですから、本人はうろたえます。
そんな時、ある本から、すばらしい言葉を見つけました
 
“俺が神じゃ!そんな気持ちで進めば良い” これだ。
 
天地創造の神様に、そして、日本の国の隅々にいらっしゃる、八百万の神様へ、どうか、お許しくださいませ。神になろうなんて、気持ちは微塵もありません、ただ、ちょっと、ほんのちょっとだけ、強気で進みたいのです。顔をあげ、肩をゆすって、大股で歩き、心のなかで“俺が神じゃ!”とつぶやきながら大口をたたきました、誰か、ついてきてくださる方はいますかしら。日々前向きに、明るく、夢と希望を持って、進みたいと思います。
 
では、新しい年が、皆様のご健康で幸多い1年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

大家 桂子

『年末を迎えて』

2005-12-01
 早いもので今年も残すところ1ヶ月。1年を締めくくる12月になり、毎日が忙しい時期となりました。皆様には1年間大変お世話になりまして本当に有難うございました。
 
≪会社の業績≫
会社について、営業部門は昨年に続き売上・利益とも計画を達成出来ると思います。生産部門は自社のセメント瓦が年間を通して受注が続いていますのと、トンネル用のCP材は大型工事物件の受注を受け、出荷対応に追われている状況にあります。これは、社員全員が営業・生産の計画に協力した結果、良好な業績を残すことが出来ると思っておりますが、まだまだ未達の事項が残っておりますので、来期には努力します。
 
≪会社の行事≫
11月3日のウォーキング大会には、取引先・仕入先・社員の家族の方々、125名の参加者がありました。市内の秋の風景を見て気持の良い汗をかきながらゴールされ、女子社員の手作り料理で皆様が楽しく懇談されたことと思います。来年は10回目となりますので、参加の協力をお願い致します。
 
≪新たな取り組み≫
今年新しく取り組むことにした太陽光発電を、少しは地球環境の協力に参加できると思い、11月に自宅の屋根にパネルの設置工事を行ないました。今月の中頃には、太陽光の電気を使用出来ることを妻と楽しみに心待ちしております。初めての利用と来年には売電による収入がどれほどになるのか期待をしております。なお、本格的に営業活動を行ないますのでご協力をお願い致します。
 
来年も明るく元気に頑張りますのでよろしくお願い申し上げます。    

上家 勝

『郷土史講座 №4 (宇都宮一族)』

2005-11-01
今回は鎌倉時代以降、豊前最大の武士団に成長を遂げた『宇都宮一族』について話したいと思います。
 
「宇都宮姓」を初めて名乗ったのは下野(しもつけ)国(栃木県)宇都宮地域を勢力化に置いていた八田宗網です。
 
 2代目宇都宮信房が源頼朝から平家残党狩りの功をかわれ、豊前の「地頭職」に任ぜられ、最初は犀川町の木井馬場を拠点に広大な荘園を持ち、1330年頃 築城郡城井谷に本拠をおき、「城井氏」を称するようになりました。
 
10人の弟たち(野仲重房ら)を豊前のあちらこちらに住まわせました。
 
建久9年(1198)野仲重房は、耶馬溪津民に「長岩城」を築城しましたが、野仲重房については、またの機会に話したいと思います。
 
最も隆盛した時代は5代・通房(みちふさ)、6代・頼房(よりふさ)、7代・冬綱(ふゆつな)の3代です。宇都宮の最後の3代が17代・長甫(ちょうほ)、18代・鎮房(しげふさ)、19代・朝房(ともふさ)です。
 
天正15年(1587)九州平定を終えた豊臣秀吉は戦後の論功行賞で軍奉行であった黒田孝高に豊前国8郡のうち、企救・田川2郡を除いた京都・築城・仲津・上毛・下毛・宇佐の6郡を与えました。
 
 城井鎮房は秀吉の九州出兵に自らは病気を理由に出陣しなかった(長子 朝房は出兵)ので秀吉の命によって、伊予国「今治」へ転封を命ぜられましたが断り、新領主黒田氏および秀吉に刃向かうことになりました。
 
天正16年(1588)1月 黒田氏と城井氏との和睦が成立し、城井鎮房は長子 朝房を黒田氏に出仕させ、千代姫を人質として黒田氏のもとに送りましたが、鎮房自身は城井谷から出ようとしませんでした。
 
 4月20日黒田孝高の長子 長政は「千代姫を嫁に貰いたい」とだまし、鎮房を中津城内に呼び出し、酒宴中に殺害しました。「合元寺」で待機していた鎮房の家来たち(200余人)も殺害し、寺の白壁が何度塗り替えても血がにじみ出てくるので最後には赤く塗ってしまった。これが『合元寺の赤壁』の由来です。
 
千代姫とその侍女数10人は山国川の広津川原で処刑され、父 長甫(80才)も城井谷を襲われ、捕らわれ殺されました。朝房も孝高について肥後国木葉(このは)に出兵中で加藤清正によって殺されました。
 
鎌倉時代より約400年間 豊前地方を治めていた宇都宮氏は滅亡しました。

S(サンシン) 著    
 
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