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株式会社三信建材社
〒871-0006
大分県中津市大字東浜1105番地1
TEL.0979-22-2830
FAX.0979-23-3830

プレスセメント瓦・セラミック瓦(ゆきち瓦)・製造販売施工
CP材(高断熱性耐火材料)、セメント、衛生陶器、太陽光発電システム、その他一般建材の販売、内装仕上げ工事の設計・施工、上下水道衛生工事の請負

 かわらばん

社内の隠れエッセイストたちのお部屋です。 毎月お楽しみに。
毎月お楽しみに。
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「新年のご挨拶」

2015-01-01
 あけましておめでとうございます。
  お取引頂いているみなさま、昨年中は本当にお世話になりました。

 昨年は消費増税前の駆け込み需要、4月以降も好調な産業用太陽光発電に引っ張られ売上を伸ばすことが出来ましたが、消費増税の反動で住宅の動きは6月以降陰りが見え、産業用太陽光についても9月24日に九電の受け入れ停止で先行きが見えなくなっています。
 家庭用太陽光発電システムについては、これまでどおりの受け入れが続いていますが、経済産業省の設備認定を今年度中に受けるためには、平成27年1月30日(金)までの申請が必要との告知が既にされています。
 設置検討をされている方は、早めの行動を御願いいたします。
 
 当社は、お取引いただく皆様と「安心・安全な家は、そこに住む人を健康で明るくし、ひいては地域を豊にする」という目的を実現すべく行動しています。
 
 2015年はこの目的のため、お客様へさらに一歩近づく行動を起こそうと思います。
 
 三信建材社が「どんな会社で」「何が得意で」「どんなことが出来るのか」知ってもらうことで、一件でも多くの客様へ「安心・安全な家を作るための、信頼出来る商品を、お客様の希望に添うよう納品出来るように、そして安全な施工と安心をお届け出来るよう」、社員一丸となって邁進してまいります。

平成27年 元旦        
株式会社 三信建材社
代表取締役 大家 覚  

「ブロッコリーずくめな休日」

2014-12-01
暦も12月になり、今年ももうすぐ終わりだなと感じながら仕事している日々です。
 
先日仕事が休みの日に実家に帰郷し、両親の仕事である農業を手伝ってきました。今の時期はブロッコリーの定植と収穫を行っています。
 
当日は6時半に朝ごはんを食べて、すぐに畑へと向かいました。父と母と私の三人で時々雑談を交えながら、軽トラいっぱいになるまでブロッコリーを収穫しました。
 
父が農協に出荷に行っている間に昼ご飯を終え、少し休憩をはさんで、午後からはブロッコリーの苗の定植です。私が機械に乗り、ひたすら苗を定植していきます。3時にはおやつのお菓子とコーヒーを飲み、そのあとは日が暮れるまで手伝いました。
 
家に帰り、お風呂に入って、3人で晩ご飯を食べてやっとゆっくりできました。
 
1日中実家の手伝いで結構疲れましたが、家に帰り、親と会話したりご飯を食べて、楽しい休日を過ごせたと思います。
 
ちなみに、その日のご飯は3食すべてブロッコリーでした(笑)ブロッコリーずくめの充実した休日でした。

中津支店 T・S

「秋祭りと”おへそ”」

2014-11-01
 今年も早いもので、もう10月も終わりですね。私も10月はいろんな地区で神楽を奉納させて頂きました。その地区の方々と神楽を通して今年もふれあう事が出来、楽しい祭りでした。私はいつも思うことですが、子供は本当に鬼が恐いんですね。真剣に逃げていく様は昔も今も変わらないように思います。
 でも恐いものと言えば、「地震、雷、火事、親父」は代表的ですよね。その中で、雷について少しふれてみたいと思います。
 そこで、皆さんは子供のころ「よい子にしていないと、または嘘をつくと雷様がおへそを取りに来るぞ」と親に脅されませんでしたか?私はよく覚えております。どうしてそのような云われになったのか、神道の書に記されていました。雷はたんに自然現象ではなく、古来神秘的な現象でもありました。「かみなり」は、「神鳴り」のことだと言われていました。
 また、注連縄(しめなわ)や御幣(ごへい)に付けられる紙垂(白い紙を切ったもの)も雷の稲光を形どったといわれます。時に雷は、地響きせんばかりの大音響、一瞬に天から下って火災を起こしたり、人の命を奪ったりしてしまいます。
 「雷神」-雷という文字を名に持つ神は、荒々しい力に満ちています。「古事記」によれば、夫である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、決して見ないでと言った亡き妻、伊邪那美命(いざなみのみこと)との約束を守れず、つい見てしまったのです。妻の変わり果てた姿を見たとき、8種の雷神が妻の頭・腹部・陰部・左手・右手・左足・右足にまとわりついていました。伊邪那美命のあまりにもの変わりように驚いて逃げ出した伊邪那岐命に対し、姿を見られたことに怒った伊邪那美命は8種の雷神を追撃に向かわせたそうです。だが、雷の神の荒々しさは、決してやみくもで理不尽な荒々しさではなかった。右にみた神々の場合、その力が発動されるのは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の意思に従わない神にたいしてであり、「見るな」という言葉を無視してのぞき見た伊邪那岐命に対してであり、それは、秩序や約束をないがしろにする者を懲らしめる力であったといえます。
 このようなことから、雷神に対する古来の感覚が生きていたため、雷に「おへそ」を取られるぞと言われたのかもしれません。しかし、今どきそんなことを言う親も、それを真に受ける子供もいないようです。もはや、雷は単なる自然現象になってしまったのでしょう。
 
行橋支店 K・Y

「視野を広く」

2014-10-01
 私は16年間続けていることがあります。それは、バレーボールです。
小学1年生の頃に『バレー部に入部すると、焼肉が食べれるよ!』というチラシを見たのがきっかっけでした。焼肉が食べれる!という気持ちだけで入部するなんて...(笑)
この頃から、食いしん坊だったってことですね(笑)
 
 小学校の頃はのんびりと楽しく。
しかし中学に入ると世界が違い、ついていくのがやっとでした。毎日の練習は10時まで。土日は必ず練習試合か、県外へ遠征。
 厳しい指導が毎日続き、何度も何度も辞めようと思いました。今まで大好きだったバレーが初めて嫌いになった時でした。
プレーの事はもちろんですが、学校生活や私生活の事で怒られることが多く、関係ないのに、どうしてここまで...。そんな気持ちしか持てなかった私は、とりあえず言われるがままに、何も考えずにただしていました。玄関やトイレのスリッパをそろえること、玄関マットが少しずれていたら戻す、ホコリが落ちていたら拾うなど、今こうして書いてみるとすごく当たり前のことの様に感じますが、いざ行動に移してみると出来ていなく、また見逃してしまう事も多々あります。
 その頃の恩師から言われ続けていた「視野を広くしろ!」という言葉の意味が、この時ほんの少しだけ分かった様な気がします。プレーだけの事だけではなく、私生活から小さなことでも気をつければ、大事なところでミスをしないということ。そして、それが今後どれだけ大事な事であるか...。
 それだけではなく、視野を広げ他の角度から物事を考えられるようになった時、今ある全ての事が当たり前ではないんだ、と思えるようになりました。いつも朝早くから夜遅くまで送り迎えをしてくれている親の事、365日家族を犠牲にしてまで指導をして下さる指導者、当たり前に思っていたことが、そうではないんだと初めて感じました。叩かれたり怒られたりすることも愛情なんだ!なんて思えるよう様になりました。 嫌な事もきつい時もたくさんありますが、一つの角度から考えればそれで終わりですが、他の角度から物事を考えてみれば、気持ちも、その後の行動も変われます。そして、なんだか前向きに考えられるようになりました。
 一つの言葉でたくさんの意味がつまっています。そんなたくさんの意味をもつ言葉をかけ続けてくれた恩師に感謝しています。
 
企画部 A・Y

「中津の郷土史」

2014-09-01
 中津市に巻き起こった「官兵衛」フィーバー。NHK大河ドラマの主人公として白羽の矢が立った黒田官兵衛に注目が集まり、【ゆかりの地】には多くの観光客が訪れるようになった。観光ガイドをしている私にとっても、案内のしがいがある『手強い』お客様が増えてきた。だからといって迷惑しているのではない。むしろ、官兵衛のおかげで歴史に詳しい人も多く来るようになり、自分も答えられないような質問を受けたり、新鮮な視点で感想を聞かせてくれるのでうれしい。分からないことは教えを乞えるし、家での予習復習にもより一層熱が入り、とても楽しい。
 
 豊前国中津城は、名軍師と知られ、豊臣秀吉より領地を拝領した官兵衛が初めて築城した。その後は細川忠興、小笠原氏、奥平氏と主を変えながら城下町が整えられていく。偉人としては福沢諭吉をはじめ、多くの蘭学者等も世に輩出した。城郭の形が扇の形をしていたことで扇城とも呼ばれる中津城。そのおひざ元に広がった城下町には、今も江戸時代初期からの町名がそのまま残っている。
 
 観光の際は城下町の成り立ちや日本史とのつながり、郷土の偉人の足跡等を確認しながら歩くのがおすすめである。姫路町・京町・殿町など、情緒ある名を冠した町かどを次々と訪ね、由来を探りながら歩くだけでも面白い。また、敵が一気に攻め込むことを防ぐために直角に曲げた「鉤(かぎ)の手」の通りに出逢えば、心は国盗り合戦の世へ跳んでいく。郷土史を学ぶ醍醐味は、見慣れた風景が全く違うものに見えてくることである。
 
 中津城の本丸北側で、ある境でくっきりと石垣の姿が異なるのはなぜか。和傘の製造が中津でなぜ盛んだったのか。少しでも歴史を知れば、興味が湧く、疑問が生まれる、そして自分が見知っている時代や出来事へとつながる。旅先での観光をひと味深いものにしてくれる良き道しるべになると思う。旅人ではなく、そこに住む人が知れば、地域の歴史的な建造物や文化の興味深さや価値に気付き、受け継ぐことにつながるはずである。
 
企画部 H・S
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