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株式会社三信建材社
〒871-0006
大分県中津市大字東浜1105番地1
TEL.0979-22-2830
FAX.0979-23-3830

プレスセメント瓦・セラミック瓦(ゆきち瓦)・製造販売施工
CP材(高断熱性耐火材料)、セメント、衛生陶器、太陽光発電システム、その他一般建材の販売、内装仕上げ工事の設計・施工、上下水道衛生工事の請負

 かわらばん

社内の隠れエッセイストたちのお部屋です。 毎月お楽しみに。
 毎月お楽しみに。
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『郷土史講座 №5(惣町大帳)』

2006-05-01
奥平氏が享保2年(1717)中津に入府後、中津町14町は6つの組に分けられました。享保3年(1718)6月21日、各組より一人が町年寄に任命され、「交代で月番を勤め、毎月6回『町会所』に集まって町の諸事を相談して決めよ」とのお触れがでました。当時の「6つの組」の組名・町名・町年寄りをまとめますと次のようになります。
 
  組名 町名 町年寄
新博多町組 新博多町・新魚町 亀屋惣左衛門
古博多町組 古博多町・米町・姫路町 玉屋与右衛門
京町組 京町・諸町 はりまや半七
古魚町組 古魚町・船町・塩町 美のや六右衛門
桜町組 桜町・豊後町 播磨屋吉右衛門
堀川町組 堀川町・角木町 菊屋伝左衛門
 
町年寄が町会所に集まって決めた事の記録=『惣町大帳』です(写真①、②)。
 
明治維新の際、紙ホゴとして大阪方面に船積みされようとしていたものを当時の豪商 播磨屋(京町)小畑利四郎が買い戻し現在に至り、中津市立小幡記念図書館に110冊が所蔵されています。私も原本を一度しか見たことがありません。
 
去年の6月の事、中津地方文化財協議会会長の中尾先生より鄭重な手紙を頂きました。
 
内容は今度「惣町大帳解読実行委員会」を設立して、まだ翻訳製本されていない残りの分を市民の有志で翻訳製本しようという手紙でした。
 
古文書を始めてまだ4・5年の私にとって到底出来る仕事ではないと思い早速、先生の家にお断りに訪問しましたが、先生の熱意に負け結局お受けする事にしました。
 
私の担当は天保11年(1840)の1年間分を、1年間で解読・パソコン入力をすることです。
 
今も時間を見つけては難解な字に苦戦しながらも、いつの日か私の解読した惣町大帳が世に出ることを楽しみに毎日パソコンのキーボードをコツコツとたたいています。
 
S(サンシン)著
惣町大帳①

中国をかじる

2006-04-01
私も三信建材社に入社し今年で30年を迎えることになる。
 
定年まで後〇年になり、老後のことを考える齢となってきたが、退職金・年金で老後を過ごす構図が最近大きく崩れてきている。国の借金は700とも800兆円とも言われており、いつ破綻するか分からない状況に陥っている。せめてもの貯金はゼロ金利、量的緩和は解除されたが秋以降上がっても0.25%であろう。
 
このような状況の中、“自分の年金は自分で作る時代”“日本型401k”・・等と言われても私のような凡人ではどうすれば良いのかわからない。ようするに今まではリスクヘッジをしていれば良かったが、これからはリスクテイクで自分の資産は自分で作らなければならない時代だと自分なりに解釈した。今まで自分自身の資産を増やすことなど考えたこともなく、平々凡々と過ごしてきた付けが回ってきた。
 
僅かな資産を増やすにはどうすれば良いか、株・ファンド・外国為替等色々調べたが、その中で目についたのが中国株である。日本株のように売ったり・買ったりしなくて良いし、10年の定期預金と思ってじーと持っていれば良いとある本に書いてあった(信じた私がばかなのか?)。日本株は歴史も古くプロが沢山いる世界では私のようなシロウトが儲けられるはずもなく、その点中国株は歴史が浅く個人投資家がほとんどで、変なだましも無いであろうと思い数点買ってみた。
 
しかし、株の上がり下がりで一喜一憂するのではなく中国経済を調べて見ると大変面白い、人口13億人、面積日本の25倍、GDP8%(全人代今年度目標)、白物家電生産量世界1位、携帯電話契約数3億世界1位、自動車生産量世界4位、高速道路距離世界2位、ビール消費量世界1位......等、この国は新興国でありまだまだ大きく伸びる可能性を秘めている。日本の高度成長時代とよく比較されるが、13億人のマーケットは日本の高度成長の比ではないように思われる。
 
ペトロチャイナという会社ご存知ですか、世界の大富豪ウォーレン・バフェットが株を持っていることでも有名であるが、ここの会社の2005年の決算では純利益が133362.00百万元(3月31日の為替レート14.69円)で日本円に直すと、なんと1兆9590億円、あのTOYOTAよりも利益が多いではないか。このような会社がGDP8~9%の追い風に乗って今後どんどん出てくるであろうことが想定される。 また、あっと驚いたのは、IBMのパソコン部門をレノボが買い取ったことである。中国は外貨準備高が今年(2006年)日本を抜き世界一になると言われているが、この外貨はどこに行くのだろうか。今後は世界中の会社を買い漁り中国人にこき使われる時代が目の前である(反日感情が強いので使われかたも半端じゃない可能性が?恐ろしい)。
 
中国政府もしたたかである。数年前より米国が元の切り上げを迫ったが、聞き入れずに引き伸ばしてきた。昨年7月に意表をついて通貨バスケット制に移行したが切り上げはたったの2%。円は危ないので外貨を持てと言われ出したので、中国の資産を持とう、元は10%以上切り上げられると考えたのであるががっかり!。まあ、最近少しずつ元高になってきているので10%以上にはなるであろう。
 
肝心の中国株は2004・5年と加熱経済引き締めのため株価が低迷していたが、今年に入り高騰している。昨年からアジア株(日本・韓国)が好調であったが、中国株だけ出遅れていたのが一気に噴出した感じである。マネーは回遊魚のように世界中を回っている、出遅れた所を見つけるとそこにマネーは集まる。
 
中国4000年の歴史と言われますが、新興の中国を調べるのも楽しいですよ、やってみませんか?
 
生産本部
Y.M

城巡り

2006-03-01
私は日本の城が好きです。
 
それは単なる懐古趣味からではなく、城の姿の美しさにひたすら魅かれるからです。私が城に魅かれ始めたのは中津から東京の実家に帰省する際、小倉~東京間を往復する新幹線の窓から見える姫路城の美しさ、雄姿を何度も眺めていた7~8年程前からです。
 
同時期に東京から来た友人を中津城に案内するため、度々訪れた際、城の美しさに感動したことも城に魅かれた要因です。それ以来、いろいろな城の本を読み漁りました。日本人と城は切っても切れない関係にあるのではないかと思われる程、城は全国各地に散在して大切に保存されています。
 
日本の城は伝統的な日本建築の中でも特に究極の建築美と威容を備えた建物と言えます。
 
ある大手の出版社の本によれば、歴史上特に有名な城又は城跡は全国に140ヶ所余あります。私の最初の城巡りは九州にある城からスタートしました。休みの度に城巡りを楽しんでいました。現在まで九州と四国の23ヶ所の城を訪れました。築城以来一度も戦火を受けず天守が現存している城は全国に12ヶ所あります。
 
犬山城(国宝-愛知県)、丸岡城(国宝-福井県)、松本城(国宝-長野県)、彦根城(国宝-滋賀県)、姫路城(国宝・世界遺産に登録-兵庫県)、松江城(島根県)弘前城(青森県)、備中松山城(岡山県)、高知城(高知県)、伊予松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、丸亀城(香川県)
 
残念ながら九州には1ヶ所もありませんが、熊本城にある宇土櫓は現存のものです。私はこのうち高知城、伊予松山城、宇和島城の3ヶ所を訪れましたが、復元された城と違い歴史の重みを感じます。城が素晴らしいと思うのは、城は自然と人との調和から生まれているということです。城を築く時にも、自然の一部を壊すのですが、今の開発の様に山を無茶苦茶に取り崩してはいません。常に自然との調和を考えて建てられていることが分かります。城は山や谷の形や勾配、川の流れを生かしながら築かれていますので、その土地の風景に溶け込んだ美しさを備えているのです。
 
また、城は戦いを想定して防御のために技術の粋を結集して様々な仕掛けが仕組まれています。例えば、熊本城の石垣は見上げればなだらかな勾配で簡単によじ登れそうですが、上に行くほど急な垂直となっていて、引き返すにも引き返せず転げ落ちるほかない様に築かれています。これは「武者返し」と言い、加藤清正の編み出した独自の石積み手法です。
熊本城が難攻不落の城と言われた要因の一つはこの石垣にあります。
 
私は城を訪れると1~2時間があっという間に過ぎてしまいます。城の均整の取れた美しさ、逞しさや石垣の曲線の美しさを見ていると昔の人達の技術の高さに感心して夢中になってしまうからです。
 
未だ、コンピュータの無い時代に複雑な計算をどうやって考え出したのかと思うと昔の人の頭脳に驚くほかありません。私はコンクリートで復元された城よりも石垣だけ、堀だけでも残された城跡(又は城址)の方が好きです。特に竹田市の岡城址の石垣は、ため息をつく程の曲線の美しさと威容さを兼ね備えています。
やはり、城は日本人の心の故郷です。日本人なら誰もが持っている懐かしい心情ではないかと思っています。
 
東京に帰省してからは、仕事から開放された人生を楽しもうと思っていますが、その一つが城巡りです。未だ訪れていない全国各地の100ヶ所余の城及び城址をゆっくりと訪れるのを楽しみにしています。
 
大石武徳
 

社長挨拶

2006-02-01
本年1月5日より当社代表取締役 社長に就任しました、大家 覚(おおいえ さとる)です。創業者大家朝司の時代からおつきあいいただいているみなさま、また、前々社長影木荘一郎の時代からお世話になっているみなさま、そして前社長大家桂子時代からおつきあいいただいているみなさま、よろしくお願い申し上げます。
 
社長就任よりまだ20日程、新年のご挨拶の時期であり、挨拶まわりしか出来ておりませんが、代表者としての責任の重さを実感し、日々肩書きに追いつくべく頑張っております。しかし、至らぬ点、多々あると思います。今後も一層のご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
 
みなさま方のご支援の賜で、当社も2007年8月に創業60周年を迎えることとなります。 本年度はこの60周年を良い形で迎えるため、またこれを機会に100周年を目指せる会社となるため、地域の皆様に愛され、必要とされる会社を目指し、社員一丸となって働ける環境作りも大切と考えます。
 
当社一社での繁栄はあり得ません、お付き合いをいただいているゼネコンさん、工務店さん、大工さん、左官さん、みなさまが当社を利用することで厳しい競争に勝ち残り、利益を得ていただける会社となるべく、「お客様の満足の為に、変化し続ける」を初年度の目標とし、社員共々頑張ってまいります。
 
大家 覚

『平成18年新年のご挨拶』

2006-01-01
あけましておめでとうございます
皆さん、お元気で平成 18年の新しい年を迎えられた事とおもいます。
この新しい 18年が、昨年同様に三信建材の躍進の年になりますよう、祈念いたします。
 
さて、昨年12月27日の役員会で、社長交代を承認されました。大家桂子は代表取締役会長に、そして、大家覚が代表取締役社長に就任いたしました。本年1月より、新体制で社業に励みますので、ご指導、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
 
社長在任中は、大変お世話になりました。皆様が長年苦労して作り上げた組織の上に乗り、社員一同の大きな力で1年と10ヶ月を過ごさせていただきました。
 
平成16年・17年と、売上、粗利ともに計画達成することが出来ましたし。また、工場では、トンネル用のCP材の、製造に追われる毎日が続いております。そして、このCP材が中津からは遠く離れた、秋田や東京等のトンネルの材料として、各地へ出荷されて行きました。また、現在も、次のトンネルの為の、忙しい日々が続いています。
本当に、ありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
しかしながら、昨年はどうしたことでしょう、事故の多かった事。22件発生いたしました。交通事故・労災事故・火災事故と全ての事業所で、ありとあらゆる事故が起こりました。10年分位の事故がおしよせてきたような1年でした。
 
交差点で、ちょっとした確認を怠ったばかりに起こした交通事故。少しあせっていて、注意を忘れた為におきた、怪我。又、定期清掃を忙しいという理由でなおざりにしていて起こった小火。どれもこれも、全てに言えることですが、人間の弱い所をついておこります。どうか、身近に起こりました事故を反省の材料として、2度と起こらないように、お願いいたします。
 
さて、この年になって、ようやく分かってきたことがあります。
長い人生には、色々な事が待っています、つらい事・苦しい事・くやしい事・悲しい事。もちろん、うれしいこと・たのしいこと・もあります。
 
かかわる人が多ければ多いほど、又携わる仕事が大きければ大きいほど、心は早く・大きく動かさねばなりませんし、つらし・苦しい・悔しい・悲しい・嬉しい・楽しい、思いもたくさん味わいました。また、自分の考えより先に回りに振り回されてしまうこともありました。でもどんなときでも、私の取得は、“真面目”と“優しさ”この2つしかない、他には何もないんだからと自分に言い聞かせて、2つしかない取得を大事に守り、真面目に生きてきたつもりだったのです。が、
 
昨年、ある会の始まる前に、息子から、「お母さん、真面目にやってね」と言われたのです。いつだって、私は大真面目でしたのに。それからは、随分考えました。悪く考えれば、自分が思っているほど評価はされていないという事。良く考えれば私の取得は、たった2つだけでは無いという事になります。
 
不真面目も出来るのか・・・・・・と。
でも、真面目にやっているつもりなのに、不真面目、認定されたのですから、本人はうろたえます。
そんな時、ある本から、すばらしい言葉を見つけました
 
“俺が神じゃ!そんな気持ちで進めば良い” これだ。
 
天地創造の神様に、そして、日本の国の隅々にいらっしゃる、八百万の神様へ、どうか、お許しくださいませ。神になろうなんて、気持ちは微塵もありません、ただ、ちょっと、ほんのちょっとだけ、強気で進みたいのです。顔をあげ、肩をゆすって、大股で歩き、心のなかで“俺が神じゃ!”とつぶやきながら大口をたたきました、誰か、ついてきてくださる方はいますかしら。日々前向きに、明るく、夢と希望を持って、進みたいと思います。
 
では、新しい年が、皆様のご健康で幸多い1年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

大家 桂子
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