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株式会社三信建材社
〒871-0006
大分県中津市大字東浜1105番地1
TEL.0979-22-2830
FAX.0979-23-3830

プレスセメント瓦・セラミック瓦(ゆきち瓦)・製造販売施工
CP材(高断熱性耐火材料)、セメント、衛生陶器、太陽光発電システム、その他一般建材の販売、内装仕上げ工事の設計・施工、上下水道衛生工事の請負

 かわらばん

社内の隠れエッセイストたちのお部屋です。 毎月お楽しみに。
 毎月お楽しみに。
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心とココロの架け橋~イ・スヒョンからのメッセージ~

2007-03-01
2001年1月26日、東京・新大久保駅で起きた列車死亡事故のことをみなさんはまだ覚えていますか?
 
雪の舞う新大久保駅で、酔っ払ってホームから転落した日本人を助けようと韓国人留学生・李秀賢(イ・スヒョン)さんと、日本人の関根史郎さんの二人がホームから降り、助けようとするものの、叶わず、犠牲になった悲惨な事故です。
 
この事故の犠牲のひとりである、韓国人留学生 スヒョンさんのことは日韓それぞれのテレビや雑誌が取り上げ、さまざまな角度からこの事故のことを報道してきました。
 
あれから6年。
 
イ・スヒョンさんの26年という短い半生を描いた、日韓合作映画『あなたを忘れない』が2007年1月下旬から公開された。
 
スヒョンさんは、家族思いで優しく、音楽とスポーツが大好きな、正義感の強い青年。
 
兵役を終え、大学に戻ったスヒョンさんは、大学の日本語の講義がきっかけで、日本の歌謡曲に興味を持ち、また、在日だった祖父から続く日本との縁を知り、日本への留学を決意し、来日した。
 
日本でのさまざまな人との出会い、そして、日本人女性との恋・・・。そうした毎日の生活の中で、韓国と日本の「ココロの壁」に直面し、悩み、彼が好きになった日本と、祖国・韓国を、スポーツと音楽を通して結びたい、という目標を持っていたそうだ。
 
どれだけの人が、どれだけの日本人が、そのような勇敢な行動ができるだろう?
 
たとえ見えていても「見ないフリ」をしている。
たいていの人は、電車が近づいてくるホームに転落している人を助けようなんて行動に出ることはしないでしょう。
 
それは、他人事ではない
 
私もその一人である。
 
この映画では描かれていないが、スヒョンさんと共に救出しようとし、犠牲になった関根史郎さんも、数少ない勇敢な人物である。
 
スヒョンさん、関根さんのしたことは、決して特別なことではないはずです。
 
「人として」当たり前のことをしただけであり、日本人だから、韓国人だから、なんて、関係なく、どうでもいい。
 
彼等の命を賭けたこの勇敢な行動を、私たちは見習わなくてはいけないと気付かされる映画でした。
 
私は、2002年のW杯の直後、そう、スヒョンさん達が亡くなってまもなく、韓国語を習い始めた。
 
最近の「韓流ブーム」の前である。
 
週1程度の授業だけでは、なかなか上達することもなく、4年が過ぎた今も、ネイティブ・コリアンとの実践的な会話ではまだまだ戸惑ってばかりだ。
 
韓国語を習い始め、私は韓国の文化や歴史、料理などに興味を持ち始めた。このように私たちのような若年世代から、この映画のような芸能文化を通じ、交流を深め、理解しあえたら素敵なことだ。

宇佐支店 C.K

2007-02-01
十二月中旬、朝6時 外はまだ暗い ごみ袋と箒と塵取を持って外に出る。
 
 月はまだ西の空に残っている、電柱にある街路灯の明かりで落ち葉をはく。向こう3軒両隣。今年の落ち葉もそろそろ終わりだな。
 
 この家に住み始めた時、1本の桜の木を植えた、小指よりも細く、1メートルに満たない小さな“そめいよしの” 1年目、葉の数が十と少し、秋にはあっさりと散ってしまいました。次の春、桜の花が咲きました。桜の木にも花にも触るのは禁止。記念撮影です、少しでも花に近付きたいから、伸び上がる児、木の下にしゃがむ子、唇を伸ばす者。ニコニコする人、あれから30数年。
 
 八月のお盆を過ぎたら落ち葉はきの始まりです、毎朝ごみ袋と箒と塵取を持って家の前の道を掃きます、八月はほんの10分で済みます、九月に入ると20分、十・十一月は30・40分程もかかります十二月は10分かな。出勤の時間と落ち葉の量で、朝起きの時間が変わります。
 
この時に人に会うのは稀です、新聞配達と牛乳屋さんはほとんど終わっていますし、まだ出勤の人もなく、ときおり早朝ウオーキングの人が通ります、「おはようございます」とお互いに一言。木から離れたばかりの桜の葉っぱは絵に描きたくなる色です、放って置くとタダの茶色の汚い枯葉になります。だから綺麗なうちにはき清めます。
 
一月、二月、三月、毎日桜を見上げるだけ。そして、蕾が確認でき、それが少しづつ、ふくらんで、そしてまた、その蕾みに桜色を感じ、桜の木の周りの空気まで桜色に見えだしたら、待ちに待った、桜が、咲き始めます。下の方から、少しづつ、少しづつ上に昇っていきます、そして満開、桜の木も歳をとります。ほんの数年前から下の方にある枝の先が幹から分かれた位置よりも低くなってきたのです。たしかに、それまでは、枝はいつも上へ、上へと伸びていきました。
 
枝の先を上へ伸ばして天までも届こうとばかりに成長している桜の木は 幹には艶がありましたし、青年のように弾けるような若さと、朗らかで、清らかな明るさを回り一面に降り注いでくれました。そして今、桜は横に広がりを見せ、力強くゆったりとした風格を見せ始めました。幹にも割れ目が入り、こぶができはじめました。
 
桜の花の下では、何をしても楽しいものです。皆で焼肉パーティでビールをぐいぐいやるのも良し、おばさんたちと、女学生に戻って、桜メドレーを歌うのも良し。1人、月明かりで日本酒をのむのも、これがまた格別にいい。こういう時です、西行法師の気持ちに成りきってしまいます。
 
“願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ ”
ネー桜よ!!願いをきいておくれと、何度言ったことか。
 
桜の花も散ります。桜の花びらのじゅうたんの美しさも心に染みます。この美しさは1日のみ。2日ほっておくと老醜を感じだします、“花の色は移りにけりないたずらに・・・・・”です。
 
だから、桜が散り始めたら、また毎朝、箒と塵取りをもって前日に散った花びらは全て撤去。
 
その日に散った桜でうめた道のきれいなこと、息を詰めて、出る言葉が無いほどです。歩くのを逡巡します
 
桜の花びらを掃き終わり、その後の花の軸が散ってしまったら、緑の葉が出てきます。一面葉でおおわれたら季節も夏、桜の葉は、虫たちにも美味しいらしく色んな虫がつきます。この葉を大事にすることで、次の年の花もきれいに咲いてくれる、と信じていますので、虫たちに、ご自由に召し上がれというわけにはいきません、夏はセッセと虫退治です。
 
そして、また秋、落ち葉、掃きがはじまるのです。
 
大家桂子

平成19年 新年のご挨拶

2007-01-01
あけましておめでとうございます。
 
昨年は代表就任の初年度でしたが、お取引いただく皆様のおかげで新しい年を迎えることができました。まことにありがとうございます。
 
昨年は建築業界にとってはマイナス面の事件がいろいろ表面化した一年でした。耐震偽装、製品の不具合による死亡事故、談合問題とこれまで水面下にあったであろうものが一気に吹き出たように感じています。消費者がこの業界に向ける目がこれまで以上に厳しくなっていくのは確実でしょう。
 
社員一同「当社一社での繁栄はあり得ない」と考えています。
お取引頂く地域の建設業の皆様の繁栄があってはじめて当社は成り立っております。消費者の厳しい目の中、お取引先の皆様が仕事を勝ち得るための商品をそして情報・新工法を提供できるように、㈱三信建材社は社員一丸となって前進していく所存です。
 
また、本年8月に当社は創業60周年を迎えます。これも皆様のご愛顧のたまものと感謝するとともに、お客様が取引する価値のある会社となるための元年としていきたいと思っております。更なるご指導、ご鞭撻をお願いいたします。
 
株式会社 三信建材社
代表取締役 大家 覚(おおいえ さとる)

入鉄砲出女

2006-12-01
ようやく念願の箱根へ行ってきました。先月の24・25日でしたので、紅葉の見頃は過ぎていましたが、所々の名残を惜しむことはできました。
 
なぜ箱根なのか、おそらく唱歌「箱根八里」の歌詞と関所に対する自分なりのイメージが頭の片隅にあったからでしょう。
 
箱根湯本から関所にいく途中、国道1号線に寸断されてはいますが、旧東海道の石畳道がありました。
 
五街道の中で一番おおきな街道にしては、以外と道幅が狭い。使われない道は段々と廃れ狭くなっていくとは聞いていたがその通り、でも廃れても今くらいの幅なら、当時はやはり五街道一に相応しく、人・牛車・荷馬車と参勤交代の行列が通れるに十分な幅があったのだろうと想像できた。また、勾配もきつく、じめじめとした感じで、道際にうっそうとそびえたつ杉木立のさまは、歌詞のイメージそのままで期待を裏切らなかった。
 
 関所は、箱根駅伝の中継地点のそばから少し入った所に位置していた。私の頭のなかでは、もっと山際にあるはずだった。それが湖に接した場所にあったとは意外でした。
 
 しかし、考えてみれば湖と険しい山際の狭いわずかな隙間に関所を設けることは、自然の地の利をいかし、最小限の人・物・金で最高に実効性のある箱物を備えることであり、大変理にかなっていると感心しました。
 
 関所資料館の解説によれば、箱根関所の最大の目的は出女にあったこと。それも江戸に人質として住まわせている大名の妻女が江戸をひそかに抜け出して国元に帰ることを取り締まることが主眼であったこと。そして、男や江戸へ行く女に対する取り締まりは緩やかであったこと。これまた意外でした。」
 
私の思う入鉄砲出女の関所とは、幕府のお膝元である江戸の町の治安を守るため、鉄砲をはじめとする武器の流入を阻止する役目としての関所。また、幕府の権威・権力を脅かし、凋落せしめるような情報などを江戸から国元にもたらすスパイ役としての出女を取り締まるための関所と考えていたからです。
 
 意外の最後は、1619年(元和5年)に設けられ永きにわたる箱根関所の歴史の中で、不幸にも取り締まられ死刑になった事件は6件であったことです。関所の年月や置かれた意義・目的・役目からしてもっと多いのかと思っていましたが、意外でした。
 
これは、関所以外のところで見つかっても、関所破りとしてではなく、薮入り(単に道に迷い込んだもの)として事を処理していたからだとのことです。
 
このことは、平穏に生きるための民の知恵なのか。それとも、事なかれ主義の役人の職務怠慢なのか。
 
いろいろと思いを巡らしながら、最後の締めは、温泉と金目鯛と地酒で、満足のいく一泊2日の箱根でした。

経営管理部 S・H

日帰り温泉

2006-11-01
前回この席で温泉の話をさせて頂きましたが、今回もまた同じ路線の上のお話を致します。10月~12月にかけての3ヶ月間、九州各地ではとこでも美味い物が食べられて、素晴らしい景色を眺めての温泉が楽しめます。中でも湯布院、黒川はあまりにも有名ですが、泊りがけのコースとしては少しもったいない気がします。豊前からですと1時間半~2時間位の丁度良い距離ですし、同じ様な料理が食べれて昼間の露天風呂が楽しめる日帰り温泉は50代夫婦にとって一番の行楽(好楽)だと思っています。
 
☆お勧めの日帰り温泉
 
湯布院で一番良かったと思うのは、『山のホテル夢想園』。紅葉の時季、由布岳を望む露天風呂はここが最高です。10時~15時まで日帰り客はOKですが、私は食事の前に風呂に入るのが必須です(ビールをおいしく飲むため)。12時頃に到着して露天風呂に浸かる。13寺近くになって園内の食事処で名前を記入、10~20分間薪暖炉の近くで待てば、掘りごたつ式のテーブルに案内されます。
食事は炭火焼の豊後牛または、地鶏の定食が2,300円で食べられます。鮎、やまめの塩焼きも単品で注文出来ます。14時がオーダーストップですのでギリギリの注文をすれば14時半まで掘りごたつの中にいられます。“暖かい所で冷たいビールを飲む”これが一番の幸せです。肴が好物であればさらに最高です。入湯料は1人700円ですから、二人の費用は8,000円位ですかネェー。泊りよりは随分でしょ!!
 
黒川温泉では『やまびこ旅館』を紹介します。食事は室食でこの時季には土瓶蒸が出来ます(今年は高価なのでどうかなー?)。鮎の塩焼き、豊後牛の陶板焼、栗御飯など、季節のものが沢山出て来ます。奥様孝行には是非とも!それに家族風呂も露天風呂も無料で利用できます(事前の予約が必要)。1人5,000円ですからシーズン中に一度は行きたいところです。旅館には11時~16時まで居る事が出来ますから、11時に着くように家を出発。風呂に入って、12時頃からゆっくりと一時間かけて食事をとり、少し横になって再度3時頃帰り湯を楽しんで帰路。とうですか、この秋皆さんも!!
 
東浜工場 西本政春
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