本文へ移動
株式会社三信建材社
〒871-0006
大分県中津市大字東浜1105番地1
TEL.0979-22-2830
FAX.0979-23-3830

プレスセメント瓦・セラミック瓦(ゆきち瓦)・製造販売施工
CP材(高断熱性耐火材料)、セメント、衛生陶器、太陽光発電システム、その他一般建材の販売、内装仕上げ工事の設計・施工、上下水道衛生工事の請負

 かわらばん

社内の隠れエッセイストたちのお部屋です。 毎月お楽しみに。
 毎月お楽しみに。
RSS(別ウィンドウで開きます) 

郷土史講座№11(中津 小笠原時代)

2008-07-01
中津 小笠原時代は初代長次(ながつぐ)から長邑(ながまさ)まで5代続きますが今回は初代長次と2代長勝(ながかつ)について話したいと思います。寛永9(1632) 細川忠利が熊本54万石、忠興が八代城に移ると播州龍野(兵庫県南部)6万石から小笠原長次が中津8万石 (上毛郡・下毛郡・宇佐郡)に転封してきます。本家・長次の父・忠脩(ただひろ)は元和元(1615)「大阪夏の陣」で戦死していたため、旧細川藩領(32万石)は中津に小笠原長次、小倉に叔父・小笠原忠真(ただざね)、杵築に叔父・小笠原忠知(ただとも)、龍王に叔父・松平重直(しげなお・松平家へ養子)と小笠原1族4家に分割されます。

(1)初代 長次(ながつぐ)時代
寛永14(1637) 「天草・島原の乱」が勃発すると、中津藩からも2,500名が派兵されます。翌寛永15(1638)2月27日 包囲軍が「原城」を総攻撃し翌28日 天草四郎時貞以下37,000名が殺害され落城します。小笠原長次は、その功績により日田6万石を加増されますが、藩で決着がつかず、幕府に領地を返還します。寛永18(1641) 草本金山(山国町)を長次が本格的に採掘を始めます。草本金山はその後、数度廃坑を繰り返しますが 昭和28年閉山まで採掘され、最盛期坑夫500人が働いていました。細川時代の「御水道工事」も承応(じょうおう)元(1652)に町中に給水できるようになり、この頃中津町14町も完成します。当時、小祝は吉富側と陸続きでしたが明暦元(1655)と寛文9(1669)の2回の大洪水で分断され三角州になりました。寛文6(1666)5月29日 長次は52才で死去します。長次時代は善政でしたが、2代目以降は悪政の為、藩財政を圧迫します。
 
(2)2代 長勝(ながかつ)時代
長次の遺言で次男の長勝に家督を譲りますが、延宝元(1673) うつ病にかかり、病気養生のためと称して幸子(こうじ・吉富町)に豪華な別荘(48室、3層、内部は金・銀を飾り立てる)を築き、静養する事になりますが毎日歌や舞で宴会続き、この為藩財政は圧迫します。国費の不足を補う為に下士の岩波源三郎に国政を委ねます。延宝6(1678) 岩波は130の条令を出しますが炭・紙・綿などにも重税を課し、その上、毎年起こる旱魃水害により、他国へ逃散する者が続出します。このことが幕府の耳に入り、幕府の叱責を受けます。天和2(1682)11月2日 長勝は江戸にて38才で病死します。
S(サンシン)著
中津城
小倉城
草本金山
御水道

郷土史講座№11(中津 小笠原時代)

2008-07-01
小 祝
小笠原長次の墓
長勝幸子別荘跡

メタボ予備軍

2008-06-01
先日、ズボンを買いに行った時のこと。ふと、店員に自分のウエストが何センチなのかを聞かれて戸惑った。よく考えてみると、体重は自宅や会社の定期健診でも測っていたがウエストを最後に測ったのはいつなのか記憶にない。おまけに“アジャスター”がついているものであれば、自由にサイズを調整できるので今まで気にかけなかったのもあるだろう。もともと学生時代からこれといってスポーツをしていなかった私は、会社に入社して今年の4月で9年になったが、その間も特に運動をするわけでもなく、仕事柄デスクワーク中心の生活でも何ら身体の不調を感じることはなかった。
 
ところが、30歳を超えたあたりから次第に体力の衰えを感じ始め、それと同時に脂肪(特に腹回り)がなかなか落ちない体質へと着実に変化しつつある状況である。10~20代の頃は、周りのオジサンたちを見ては自分は絶対に・・・と思っていたが、このままでは“メタボ予備軍”への仲間入りをする日もそう遠くはなさそうである。
 
ちなみに“メタボリックシンドローム(代謝症候群)”とは、諸説あるが日本肥満学会(JASSO)の診断基準によれば、腹囲男性85cm、女性90cm以上が必須。かつ血圧130/85mmHg以上。中性脂肪150mg/dL以上またはHDLc40mg/dL未満。血糖110mg/dL以上。の3項目中2項目以上が該当する場合を言うらしい。 自覚症状がないために予防するには、様々な誘惑にも負けない本人の強い意志が必要である。
 
これに関連して今年の4月から始まったのが40歳~70歳までが対象となる特定健診・特定保険指導であるが、これも生活習慣病対策ひいては医療費の削減につながるという期待がある一方で、そもそも健診の基準自体があいまいであるとか、保健指導でも改善しなかったり受診をしなかった場合、連帯責任を取らされるのは納得いかないなど賛否両論あるようだ。少し極論になるかもしれないが太った人がいることで企業の社会保障コストが増えるため、職場での待遇に差が生じるのではないかとまで言われている。
 
いずれにしてもそんな理由で太った人たちが採用されにくくなるような社会にはなってほしくないものである。
 
㈱三信建材社
K.O

「私のお米の物語」

2008-05-01
今年もまたひとつの「物語」が幕を開けようとしている。
 
「安心院・マイ米(まい)物語」
それは農村景観や田舎ならではの料理を楽しみながら
田植えから稲刈りなどの「お米作り」などの農作業を体験を楽しもう!というイベントです。
 
主催は、NPO法人安心院町グリーンツーリズム研究会と、マイ米物語実行委員会。
企画・運営をしている実行委員会のスタッフには、研究会員以外にも
私のようなごくフツーの会社員や農業後継者、自営業者に大学講師などさまざまなメンバーが加わり、
農家のお父さんやお母さんのアドバイスのもと、プランを組み立てていく。
私も昨年から、この「物語」を作っていくスタッフの一員として参加している。
参加者も、家族連れや高校生、大学生、そして会社員・・・とさまざまだ。
 
初夏には田植え、真夏は川遊びやバーベキュー、秋には稲刈りをして収穫を楽しむ・・・など、
お米ができるまでの一年間、そして農村の一年間のストーリーを展開していく。
使用する食器は、環境に配慮し、竹食器と竹箸を自分で作って使う。
 
農作業の後、田舎ならではの料理を、手作りの竹食器で味わう・・・・
そして交流の場として、毎回行われる「農産物争奪○×ゲーム」なども好評である。
 
という私は非農家に生まれ育ち、これまで農作業というものを経験したことがない。
「炎天下で農作業なんてシミ・ソバカスの原因じゃん!ありえな~い!!」
「泥のなかに素足で入って田植えなんて・・・想像しただけでジンマシンできそうだしっ!」
 
と、かたくなに参加を拒んでいたのだが・・・これがどうしたものか、参加するとその魅力にハマる。
 
普段接することのない世代(若者と年配者)、職種の人たちと、農作業や「食」を通じて
共にイベントを作り上げ、時間を共有していく。
それは、「消費する人」と「生産する人」たちが交流する、貴重な時間でもあるのだ。
 
そして今年、実行委員会のメンバーは6年目の「物語」の構想を描き始めた。
今年はどんな「物語」が展開されるのか・・・
 

太陽光発電システム

2008-04-01
三信建材社は建築・屋根事業関係する会社であり太陽光発電システム事業も積極推進中です。ちょっとその事業の思いに触れる事に致します。
 
不思議な科学の力
太陽はエネルギー(源)である地球はそのエネルギーを受けて風が起こり、森樹が育ち繁り、水が流れ私たちの暮らしを支えています。
石油も、石炭も、天然ガスも 太陽のエネルギーに育てられてた太古の植物が長い年月の中で生成されてもの!
46億年前に地球が誕生するずーと前から太陽はエネルギー地球のすべてのエネルギーの源である太陽の光を電気というエネルギーに換える科学がある。を電気へ(水力発電)を電気へ(火力発電)を電気へ(風力発電)に換えるようにを電気にかえる。(不思議だ)
 
問題点の解決の一つ
私たちが豊かな今の電化生活を続けてゆくには今もって解決しなければならない問題が取りざたされていますね。その代表的なものが「エネルギー問題」と「地球環境問題」であります。特にCO2等の温室効果ガスの増加がもたらす地球温暖化という問題は、大きくクローズアップされています。こうした中、 解決策の一つとして最大注目されている新エネルギーでその中でも太陽光発電システムなのです。
 
屋根と太陽光発電システム
厚さわずか数ミリのガラス板に光があたると電気が流れ始めるシンプルなパネル。熱も、音も出さない静かで家庭内供給も、余剰電力の販売もシステム任せの発電装置なのです。太陽光発電システムは家の構造から、一番日照条件の良い屋根設置が最良の箇所とされます。太陽光発電システムは家の設置は屋根の形状や向き、屋根の大きさ周辺状況や屋根材の種類になどによりシステム設置代金が変わります。
最初は光より熱だった。今は光で環境貢献!!屋根を発電所に!!
 
屋根工事技士による安心責任施工
家・住宅全体を診た専門屋根専門商社
良質な販売がモットウです
良質な施工を致します
良質な保守メンテが主義なのです
㈱三信建材社
TOPへ戻る